インド映画を巡る冒険(仮)

以前メインのブログに書いたインド映画記事のアーカイヴです。当時書いたまま直さず転載しておりますので、誤記等ありましてもご容赦ください。

『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』の原型ともなった輪廻転生物語〜映画『Madhumati』

■Madhumati (監督:ビマール・ロイ 1958年インド映画)


物語は嵐の夜、倒木によって立ち往生してしまった車の様子から描かれる。車に乗っていた男たちはとりあえず近くにあった古い邸宅に避難する。廃屋となった誰もいないその邸宅で、物語の主人公となる男デヴェンドラ(ディリップ・クマール)はある肖像画を目にして驚愕する。なんと彼自身を描いた肖像画だったのだ。こうして彼は、これまで記憶に無かったはずのある事件を思い出す。それは男の前世の記憶だったのだ。

1958年にインドで公開されたモノクロ映画『Madhumati』は、こんな、まるでホラー映画のようなオープニングを迎える。そこから描かれるのは、悲痛な愛に彩られた世にも奇妙な物語なのだ。監督は映画『Do Bigha Zamin』(1953)で世界的に有名なインドの社会派、ビマール・ロイ。主演のディリップ・クマールは歴史大作『Mughal-e-Azam』(1960)でムガル帝国皇子を演じた男優だ。ヒロインに『Sangam』(1964)、『Jewel Thief』(1967)のヴァイジャインティマーラー

男は、前世においてアナンド(ディリップ・クマール)という名だった。彼は西ベンガルのシャイアムナガー木材地所に新たな管理者として訪れ、そこで地元の娘マドゥマティ(ヴァイジャインティマーラー)と出会い恋をする。一方、アナンドの雇用者であり地元の君主ウグラ(プラン)もまた、地所を歌い歩くマドゥマティに魅せられていた。ウグラは奸計を巡らしマドゥマティを屋敷へとおびき寄せる。そしてその日から、マドゥマティはぱたりと姿を消してしまう。マドゥマティの身になにが起こったのかも分からず、悲痛な毎日を送るアナンドは、山を彷徨い歩いているうちに、遂にマドゥマティと出会う。しかし、それは彼女ではなく、瓜二つの顔を持ったマダヴィ(ヴァイジャインティマーラー)という女性だった。

この物語はシャー・ルク・カーン、ディーピカー・パードゥコーン主演の名作映画『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』(2007)の原案ともなった作品である。またこの『Madhumati』は、『OSO』を始めとする輪廻転生を描いた多くのインド映画作品の草分けともなった作品なのらしい(Wikipedia『Madhumati』の"Influence"の項参照)。さてここで『OSO』の原案となった作品と書いてしまうと、『Madhumati』がどういう展開を迎える作品なのか多くのインド映画ファンは分かってしまうだろう。だがしかし映画製作現場を舞台にした華々しいドラマである『OSO』と西ベンガルの美しい大自然を背景とした『Madhumati』ではやはり雰囲気が違う。モノクロ作品なのにもかかわらず、自然の描写の美しさは特筆すべきだろう。また、モノクロ映画ということもあって、『Madhumati』には暗くしっとりとしたゴシック・ノワールの雰囲気に満ちている。

だがしかし、『Madhumati』には『OSO』と違う展開を迎える部分もある。それは『OSO』は物語を"事件・転生・復讐"という直線的な時系列で描くが、『Madhumati』においては"全て過去に起こったことの記憶"として描かれている部分にある。これ以上のことは書かないが、この時系列の描き方の違いにより二つの映画の物語展開が違ってきているのだ。その為『Madhumati』と『OSO』ではクライマックスがある意味別のものとなっているのである。さらにラストはもう一ひねりしてあって、『OSO』を念頭に置いて観ているとちょっとびっくりさせられる。こういった点から、古い映画ではあるが『OSO』ファンにも是非観て貰いたい作品だといえるだろう。

さてこの作品は『OSO』原案ということ以外にも見所がある。それは監督がインド映画界で名高いビマール・ロイであるということだ。ビマール・ロイ作品はたいして観ていないので知ったことは言えないのだが、かの監督は社会派であるという思い込みが強かったため、この作品がごく大衆的な娯楽作に仕上がっていることに少々驚いた。そしてその物語性はインドの地域性のみに依存するものではなく、どんな国が舞台でも成立する部分が面白い。時代を古いものにし、因業な地主と地方役人と村娘、というキャスティングであれば、それが日本の昔話でもヨーロッパでも通用しそうではないか。つまり物語として普遍性を持っているということなのだ。

個人的には、この作品で観ていてよくわからなかった部分があった。それはマドゥマティの住む集落の人たちの民族や宗教である。まず集落に墓があったが、これはヒンドゥー教徒ではないということだろうと思う。さらになにがしかの朽ちた神像を礼拝していたが、これはヒンドゥー神に見えず、さらに偶像崇拝を禁じたイスラム教徒ではないということでもある。ひょっとして仏教徒だったのか?服装がサリーなどではなく、馴染の無いもっと違ったものであったこともそうだ。単なる自分の勘違いかもしれないのだが、彼らはインドの少数民族のひとつだったのだろうか。