インド映画を巡る冒険(仮)

以前メインのブログに書いたインド映画記事のアーカイヴです。当時書いたまま直さず転載しておりますので、誤記等ありましてもご容赦ください。

弟はパキスタンに囚われていた〜映画『Sarbjit』

■Sarbjit (監督:オムング・クマール 2016年インド映画)

1.

パキスタンに拘束されスパイ容疑で死刑を宣告されたあるインド人男性と、彼の釈放を願い23年間に渡って戦い続けてきたその家族。映画『Sarbjit』は1990年、インド/パキスタン国境で拘束されたサラブジート・シンとその家族を巡る実話を基に製作されたドラマである。主演はアイシュワリヤー・ラーイ・バッチャン、『Highway』(2014)、『Kick』(2014)のランディープ・フーダー、『Gangs of Wasseypur- Part 1,2』(2012)、『Masaan』(2015)のリチャー・チャッダー、『Mary Kom』(2014)、『NH10』(2015)のダルシャン・クマール、監督に『Mary Kom』のオムング・クマール。

《物語》1990年8月。パンジャーブの農村で暮らすダルビール(アイシュワリヤー)は弟サラブジート(ランディープ)の姿が消えてしまったことで恐慌状態だった。手掛かりもないまま年を越した5月、ダルビールとその家族の元にパキスタンから謎の手紙が届く。なんとそれはサラブジートからのものだった。失踪したその日、彼は酒に酔ってパキスタン国境を超えてしまいそこでパキスタン兵に拘束、拷問の未テロリストであると自白強要され、死刑宣告を受けたまま現在獄中にいるというのだ。ダルビールは無実の弟の釈放をパキスタンに呼びかけるよう政府に嘆願するが、国家同士の緊張が続くインド/パキスタン間においてそれはあまりにも困難だった。しかし、草の根で釈放運動を続けるダルビールとその家族に、パキスタン在住の弁護士アウェイス(ダルシャン)が協力を持ちかける。

2.

インドからパキスタンに迷子の娘を返しに行く物語、というと『Bajrangi Bhaijaan』(2015)だが、こちらはパキスタンに囚われた弟をインドから助けに行くという物語、ということになるだろうか。パキスタンに囚われになった家族を救いに行くというトンデモ系大アクション映画『Gadar: Ek Prem Katha』(2001)という作品もあったが、この『Sarbjit』はなにしろ実話、フィクションのように単純に事が進む筈もなく、厳しい現実と当事者たちの身を切り刻まれるような辛苦の日々が徹底的に描かれることになる。そういえば"パキスタンの刑務所にスパイ容疑で22年間収監されているインド人の救出劇"を描いたシャールク・カーン主演映画『Veer-Zaara』(2004)は、このサラブジート・シン事件がその元ネタということになるのだろうか。

物語はパキスタンに囚われた弟を救う為、身の振り構わず文字通り死にもの狂いとなって尽力する姉ダルビールの、苦闘の日々を描くこととなる。政府に訴え、メディアに訴え、市民活動に訴え、出来得ることは何であろうと遣り尽そうとする、その石に齧り付くが如き粘り強さと山をも動かさんとする不退転の意思、これらの凄まじい思いの強さには息を飲まされる。だが国際情勢の絡む非情な現実がこれを阻み、事態は一進一退を繰り返しながら年月ばかりがいたずらに過ぎ去ってゆく。事態が進展したかと思えばまた後退し、希望の兆しが見えたかと思えばまた叩き潰される。これらが20数年間の中で延々と繰り返されてゆくのだ。実際もそうであったのだろうし、その壮絶さは十二分に伝わってくるものの、しつこくくどい描写になってしまった感は否めない。

一方、獄中の弟サラブジートは、汚濁と非道に溢れた刑務所の中で動物以下の扱いを受けながら絶望の只中にいた。死刑執行のその日まで、彼もまた地獄のような日々を送っているのだ。この酸鼻を極める獄中描写がまた凄まじい。冒頭の拷問シーンはここは中世かと思わされるものであり、衛生環境も食事の内容も最低以下で、当然基本的人権もないがしろにされ、その中でサラブジートは襤褸切れのようになりながら生と死の境を彷徨いつつ生きる。しかし途中から人権団体や弁護士アウェイスの介入により環境はいくばくか改善され、遂にはインドの家族と獄中面会を果たすまでになる。ここでのサラブジートの、やっと見出したなけなしの希望にすがりつく様は大きく心を揺さぶるだろう。この希望と絶望のコントラストが物語のキモとなるのだ。サラブジート役ランディープ・フーダーの熱演は特筆すべきだろう。

3.

そしてなにしろこの作品、アイシュワリヤーがスゴイ。弟が投獄されてから流れた20数年の年月を、彼女はまだ若い女性の姿から老獪に身をやつした白髪女まで演じ切るのだ。アイシュワリヤーは往年の美人女優のアイコンをかなぐり捨て、特に後半の老年のダルビールは、怒りと悲しみで常に顔を歪ませ、声はしゃがれ口元は曲がり、目は暗い炎でらんらんと輝いている、といった容貌で登場するのだ。本当にこれがアイシュワリヤーかと思ったほどだ。当初彼女の登用は疑問視されていたらしいが、陰鬱で救いのないこの物語でスター俳優の登場はメリハリになったと感じた。サラブジート妻役リチャー・チャッダーは本作では目立った活躍はしなかったものの、彼女が主演した映画『Masaan』に非常に感銘を受けた者としては、再びこの映画で再会できたのがなんだか嬉しかった。

監督のオムング・クマールはプリヤンカー・チョープラー主演の実録スポ根映画『Mary Kom』に続きこれがデビュー2作目となる。『Mary Kom』が女子プロボクシングの世界を通して女性の生き方を描こうとした作品だったように、この『Sarbjit』も政治犯にされた男の救出劇を通して女系家族の鋼の様な意思と熱い思い描こうとした作品のように思えた。この作品においてサラブジートを除けば彼の家族は姉、妻、二人の娘、と4人の女性で成り立っているのだ(老父もいたのだが途中で死去している)。弁護士アウェイスの力添えもあるにせよ、基本的にはダルビールを中心とした女たちが国際社会の軋轢が生み出した悲劇にさらされ、そしてこれを乗り越えようとするドラマなのだと自分は感じた。オムング監督もそこに注視し題材としたのではないだろうか。