インド映画を巡る冒険(仮)

以前メインのブログに書いたインド映画記事のアーカイヴです。当時書いたまま直さず転載しておりますので、誤記等あったらご容赦ください。

インドのリーサル・ウェポン、サニー・デーオールが暴れ狂うアクション映画『Ghayal Once Again』!

■Ghayal Once Again (監督:サニー・デーオール 2016年インド映画)


サニー・デーオールといえばオレの中では映画『Gadar: Ek Prem Katha』(2001)がなにより記憶に残っている。印パ分離の悲劇を狂ったような大殺戮アクションに変えてしまったトンデモストーリーにも唖然とさせられたが、なによりサニー・デーオールの手負いの熊みたいな手の付けられない激情ぶりに度肝を抜かれたのだ。なんなんだこの俳優は……と思っていたがどうやらそういった激情タイプのトンデモアクションを得意とする人なのらしい。

そのサニー・デーオールの久々の新作アクションが到着したというからこれは観ねばなるまい、と思った次第である。ただし今作は『Ghayal』(1990)という作品の続編なのらしいがそっちは観ていない。

《物語》過去の恐ろしい事件(これが前作なのらしい)により精神を病み療養していたアジャイ・メーラ(サニー・デーオール)はなんとか社会復帰できるまでに回復し、今は新聞社に勤めていた。そんな彼は社会の敵を撲滅する秘密結社で働くというもう一つの顔も持っていた。ある日彼の恩師である警察官ジョー・デスーザ(オーム・プリー)の交通事故死を知り涙に暮れるアジャイだったが、実はそれが事故に見せかけた謀殺だったことを知る。その殺人現場をたまたま撮影していた若者たちがいたのだ。しかしその殺人に関わっていたのは州首相のラージ・バンサル(ナレンドラ・ジャー)とその息子であり、証拠隠滅の為にビデオを持つ若者たちの誘拐を私兵たちに命じていた。アジャイは絶体絶命の危機にある若者たちを救うことが出来るのか、そしてビデオを手に入れられるのか。

実に痛快なアクション娯楽作だった。前半まではアジャイの過去の事件に対する葛藤や、フラッシュバックに苦しめられる様子が描かれ、この辺前作の経緯を知らない自分は若干置いてけぼりを食らったが、「なんかいろいろ辛いことがあった」程度のことは理解できた。また、裏の秘密結社の様子もこの前半部では物語られる。ただしここまでは状況説明に終始してしまう為にもっさりとした展開が暫く続いてしまうのは否めない。しかし、中盤も間もなくになり、州首相バンサルの悪事が発覚し、こいつが己の権力をあらん限り駆使して証拠隠滅に走り出す頃から物語に強烈なドライブが掛かり始める。なにしろこのバンサルという男、政府機関を私物化し、さらに黒スーツに身を包んだ私兵まで擁しているから始末に負えない。身の危険を察したブロガーの少年少女は逃走を始めるが、バンサルの魔の手は執拗に彼らを追跡する!

そしてここからの止められない止まらないアジャイのノンストップ・アクションがとてつもなく素晴らしい!GPSや監視カメラを駆使した悪党どもの追撃とカーチェイス、追いつめられるブロガー少年少女、そこに登場したアジャイによる反撃、そして一個のHDを巡っての、アジャイと残忍な私兵たちとの市街を縦横無尽に駆け巡る追跡逃走劇が展開する。車にはねられ電車に接触し、しまいには突き進む鉄道に飛び乗っての鉄拳の応酬、このシークエンスだけでなんと30分以上だ!アクション演出は手堅くそつがなく、インドアクションにありがちな大袈裟で見栄えのいいワイヤーやCGに頼ることなく、ただひたすら肉体の限界に挑み拳のパワーを駆使しながら、満身創痍になりつつも走り飛び敵に鉄拳を打ち込む!もう王道とも言えるアクションが展開しているのだ。

確かに物語には新しいものは無く、地道なアクション描写はとりたてて画期的なものだということはないにしても、この手堅い王道さにはちょっと昔のハリウッドB級アクション作品の爽快さを感じてしまったのだ。実の所インドアクションは飛び道具的な面白演出はあっても通常はどこか一本調子で、ボリウッド大御所出演作を除けばこういった作り込まれたアクションはこれまで少なかったように思う。これをしてハリウッドに追いついたような言い方はしたくないが、それにしてもよく研究してここまで遜色のないアクション演出まで到達することが出来なたあ、と感心したのだ。そういった部分でこの『Ghayal Once Again』はインドアクションの新たなる叩き台として非常に価値のある作品だと感じたのだ。

そしてなにより主演のサニー・デーオールがいい。熊みたいなもっさり体形のしょぼいオッサンが、髭面の顔を苦悶で歪ませ、生傷だらけの身体を限界までふりしぼりつつ敵を追い続ける!この、「見た目はしょぼいがやるときはやるオッサン」の雄々しさが、画面の隅々から臭いたってくるのである。もとより、サニー・デーオールのどこか草臥れたその風情は、フランスのノワール映画にしょっちゅう登場する小汚いヨーロッパ人主人公と相通じるものを感じるのだ。なにも映画の主人公はジムで作ったガチムチ体形をみせびらかす水も滴る若い男ばかりである必要などどこにもないのだ。そしてこの映画における主人公アジャイの石に齧りついてでも敵を追い続けるしつこさと体力は、ある意味オッサンの持つしつこさと持久力に他ならないのではないか。こういった「小汚く素晴らしいオッサン」像としてサニー・デーオールは輝いていた。

シャー・ルク・カーンがインドいちの大悪党を演じるアクション映画『DON 過去を消された男』

■DON 過去を消された男 (監督:ファルハーン・アクタル 2006年インド映画)


2006年に公開され大ヒットしたシャー・ルク・カーンのアクション大作『DON 過去を消された男』、やっと観ました。実は続編である『DON ベルリン強奪作戦』(2011)は観ていたんですが、「まあまあかなあ」程度の感想だったもんですから、1作目は観なくてもいいやあ、と思ってたんですよ。ただこれはインド映画に慣れ親しむ前に観た時の感想なので、今もう一回観たら絶対評価が変わる気がします。また観てみようかなあ。ちなみにこの作品、2008年に日本公開されていて、DVDは廃盤のようですがレンタルで探せば日本語字幕付きのを観ることが出来ますよ。

そんな1作目をなんで今観ようと思ったかと言うと、この間アミターブ・バッチャン主演によるオリジナル作品『DON』(1978)を観たからなんですね。インド映画ファンにはお馴染みなんですが、この『過去を消された男』はアミターブ主演の『DON』のリメイク作なんですよ。このオリジナルとリメイクはどう違うのかな?と比較して観たくなってしまったという訳です。

《物語》マレーシアを拠点に巨大な犯罪組織を築き上げていた男ドン(シャー・ルク・カーン)は明哲な頭脳と酷薄な性格で恐れられていた。ドンを捕えるべくインド警察のデシルバ(ボーマン・イーラーニー)は厳戒態勢を敷き、インドに潜入していたドンを遂に拘束するが、その時ドンは瀕死の重傷を負い、病院で死亡していた。そこでデシルバはドンの組織を壊滅させるためある計画を秘密裏に遂行する。それはドンに瓜二つの男ヴィジャイ(シャー・ルク・カーン二役)をドンの替え玉として組織に送り込むことだった。しかし、この計画をただ一人知るデシルバが命を落とし、ヴィジャイはドンとして警察に追われることになる!

物語にはさらにインターポールのマリク(オーム・プリー)、ドンに恋人ラメーシュを殺されたカーミニー(カリーナー・カプール)、さらにラメーシュの妹ロマ(プリヤンカー・チョープラー)、そしてマリクに恨みを持つ男ジャスジート(アルジュン・ラームパール)が登場し、復讐と陰謀の渦はますます深まってゆく、という作品になっているんですね。製作・脚本・監督はファルハーン・アクタル、この人実は日本でも公開された名作スポ根映画『ミルカ』の主演も務めたという才人なんですよ。

粗筋から分かるようにこの作品、「瓜二つの別人」が登場してサスペンスを盛り上げるという、いわゆるドッペルゲンガー・ストーリーになっているんですね。いやーこのブログで何度も書いたような気がしますが、インド映画ってホンット、ダブルロール好きですよねえ。安易とか何とかいうよりも、インド人にとってのフィクションの基本なんでしょうかねえ。このジャンルの作品だけ並べてもリストひとつ作れそうですよ。とはいえ、決して陳腐に陥ることなく作品を面白く作っているんですから流石です。

まずこの作品、物語構成が実に巧みな複雑さを持っているんですね。まず犯罪王ドンの冷酷無比さを描き、そんなドンに復讐を誓い組織に潜入するロマの怨念と、組織壊滅の極秘計画を遂行するデシルバの思惑が絡みます。そして替え玉となったにもかかわらず組織からも警察からも追われてしまうヴィジャイの逃走劇が展開してゆきます。さらにその外側で一匹オオカミのジャスジートが怪しげな計略を巡らせている。こんな具合に物語は非常に錯綜していて予測困難であり、これらが否応なしにサスペンスを盛り上げてゆくばかりか、驚く様などんでん返しすら用意している、という作品なんですね。

とはいえそんな緊迫した物語にもかかわらず、インド映画お得意の歌と踊りがきちんと配されているんですが、実はこれがまた作品にゴージャスさとクライム・ストーリーならではの色気を加味していて、全然ちぐはぐさを感じさせないんですね。悪の帝王と追われる男、という二つのシリアスな役柄を演じるシャー・ルクは絶好調の演技を見せ、彼の周囲で暗躍する女ロマ役のプリヤンカーもクールで危険な女を手堅く演じ、とても魅力的でした。いやあ、この作品観て「プリヤンカーに蹴られたい…投げ飛ばされてみたい…」としみじみ思ってしまいましたよ(なんじゃそりゃ)。

DON ドン -過去を消された男- [DVD]

DON ドン -過去を消された男- [DVD]

  • 発売日: 2008/11/21
  • メディア: DVD

闇の帝王DON ベルリン強奪作戦 [DVD]

闇の帝王DON ベルリン強奪作戦 [DVD]

  • 発売日: 2014/01/07
  • メディア: DVD

シャー・ルク・カーンがインドいちの出世頭を演じる映画『ラジュー出世する(Raju Ban Gaya Gentleman)』

■ラジュー出世する(Raju Ban Gaya Gentleman)(監督:アズィーズ・ミルザー 1992年インド映画)


シャー・ルク・カーンの出世作と言われる『ラジュー出世する』、やっと観ました。この作品の公開年である1992年に銀幕デビューを果たしたシャー・ルクは同年だけで4作の映画に出演し、その1作であるこの作品が大ヒットしたというんですからまさしく破竹の勢いでスター街道を歩むことになったんでしょうね。ただどうしても最初期の作品というとまだまだ拙かったりするんじゃないのかな?と思って暫く作品に触れて無かったのですが、『ラジュー出世する』の原典と言われる『Shree 420』をこの間観て、いい機会だから観比べてみようと思ったわけなんです。共演にジュヒー・チャウラー、ナーナー・パーテーカル。監督はこれがデビューとなるアズィーズ・ミルザー。

物語の主人公はダージリンからボンベイ(現ムンバイ)へ一旗揚げようとやってきた青年ラジュー(シャー・ルク・カーン)。とはいえそこは世知辛い大都会、なかなか仕事も見つからず四苦八苦するラジューだったが、捨てる神あれば拾う神あり、そんな彼を奇妙な男ジャイ(ナーナー・パーテーカル)が拾い上げ居候させてくれたり、近所に住む娘レーヌー(ジュヒー・チャウラー)と恋に落ちたり、あまつさえそのレーヌーの口利きでゼネコンに就職先が見つかったりと、なにかと幸運が訪れる。ラジューはその敏腕振りを社長令嬢サプナーに認められ、あれよあれよと出世するが、レーヌーとは擦れ違うようになり、さらにラジューを快く思わないライバルたちが妨害工作を画策し、ラジューの担当する工事現場で大事故がおきてしまう。

いやあ楽しかった!この『ラジュー出世する』、今観ても全く遜色のない面白さで、こんなによく出来てるとは思いませんでした(正直ナメてましたスイマセン…)。シャー・ルクの映画は割と観ているつもりだったんですが、その中でも結構クオリティの高い作品になるんではないでしょうか。確かに時代こそは感じさせますが、個人的には『DDLJ』よりもエンターティンメント性といった部分でよく出来ていると思うし、楽しさといった点では『OSO』に匹敵するんじゃないか…というのはちょっと褒めすぎになっちゃうかな?

Wikipediaによると「日本では、1954年公開の『アーン』『灼熱の決闘』以来、43年振り、3本目のロードショー公開となるインド娯楽映画。次いで公開された『ムトゥ 踊るマハラジャ』に先立ってマサラムービーブームの礎を作った*1」らしいのですが、当時ですらあまり日本でなじみの薄いインド映画を公開しようと英断した映画会社担当者の気持ちもよくわかります。だってこれ、本当に面白いんだもん!映画を観た観客の方も面白さにびっくりされたみたいで、今ネットを調べても当時&再上映でこの映画を観た方の興奮のさまをちらほら見かけることができます。

この面白さの要因は屈託のないストレートな描写の数々にあるでしょう。1992年作だからこそ物語の構成が複雑化せず、ストレートな描写がまだ可能だったんでしょう。なにより映画前半におけるラジュー&レーヌーのラブラブ・シーンです。レーヌーの投げキッスを受け止めるラジュー、レーヌーの胸の高鳴りを彼女の胸に耳を当てて聞くラジュー、こんな二人の嬉し恥ずかし恋のやりとりが初々しく、とってもキュートなんですよ。そして出世したラジューを町の皆が歌って踊って大騒ぎで祝うシーンの楽しさったらありません。ラジュー演じるシャー・ルクは溌剌としていて、レーヌー演じるジュヒー・チャウラーも実に表情豊かに役を演じます。こんな二人を見守るジャイがまた可笑しくて、年の功とでもいうのでしょうか、恋する者同士がとるお決まりの行動を逐一予想し言い当てるシーンなどは出色でした。このジャイを演じるナーナー・パーテーカル、若者中心の物語だと甘くなりそうなところを、中年(しかも怪しい)の年季でピリリと締めていたところが実にすばらしかった。

こんな楽しさはラジューが現実の厳しさ醜さにぶち当たる後半で失速してしまうのですが、逆にこの後半はシリアスに盛り上がってゆくことになります。そしてこの後半こそがこの作品のテーマとなり、またオリジナル作品である『Shree 420』と繋がる部分でもあるんです。ラジューは『Shree 420』の主人公のように詐欺師になるわけではありませんし、また困難な状況に精一杯対応しようとはしますが、「お金のためにモラルを失うこと」という部分で共通しています。『Shree 420』では1947年のインド独立が、この『ラジュー出世する』では1991年から始まった経済自由化が物語の背景にあると思うのですが、どちらもその根底にあるのは「巨大な経済機構の変化に巻き込まれることへの庶民の不安」です。その渦の中で、インド人が心の拠り所とすべきものはなんなのか、それが『Shree 420』『ラジュー出世する』のテーマだったのではないでしょうか。そしてこの「経済と個人」の問題は、この作品と同じシャー・ルク&ジュヒー・チャウラー主演、アズィーズ・ミルザー監督による『Yes Boss』へと受け継がれてゆきます。

www.youtube.com

 

シャー・ルク・カーンがインドいちのゴマスリ男を演じるコメディ『Yes Boss』

■Yes Boss (監督:アズィーズ・ミルザー 1997年インド映画)



シャー・ルク・カーン演じるサラリーマンが、出世を狙って上司の腰巾着となり、あの手この手でゴマスリまくるという、クレイジーキャッツの『日本一のゴマスリ男』をボリウッド・リメイクした作品です(もちろん大嘘です)。しかし天下のシャールクがゴマスリ男とは、なんとも世知辛いですなあ…(シクシク)。ヒロインはジュヒー・チャーウラー。監督であるアズィーズ・ミルザーはシャー・ルク・カーンのデビュー作『ラジュー出世する』(1992)も監督していますが、ジュヒー・チャーウラーもこれに出演しており、いわば「ラジュー・カップル再び」ということでしょうか。とかいいいつつ実はオレ「ラジュー」観てないんですけどね(ヲイ)!
物語の主人公は広告代理店に勤めるラーフル(シャー・ルク・カーン)。彼は上司であるシッダールタ(アディティヤ・パンチョーリ)の命令になんでも「イエス、ボス!」と答えるイエスマンでしたが、そんなシッダールタの今度の頼みは美人モデルのシーマ(ジュヒー)との仲を取り持ってくれ、というものでした。今度も「イエス、ボス!」と快諾するラーフルですが、実はシッダールタは妻帯者、シーマを騙して我がものにしようとしていたのです。そんな罪悪感もあってかラーフルはシーマに嘘をつき続けることがだんだん辛くなり、さらに、そんなシーマを愛し始めている自分に気付くのです。
それにしてもこの物語、よく考えると結構エグイ話なんですよね。妻帯者のはずの広告代理店のボスが自分の所の広告で使ったモデルを部下を使って口説きに入るとか、妻帯者であることがバレたら今度は「女房は浮気しているひどい女で、自分は離婚するつもりなんだ!」とか嘘ぶっこいちゃったりとか、さらにモデルとの交際が妻にばれると「いやあれは部下の女房なんだ!」とまたも嘘をつき、部下であるラーフルとシーマに結婚生活しているふりをしろ!と強要したりしてるんですよ。全くどこまでも自己中な犬畜生野郎ですよね。
ラーフルラーフルでボスの言うことにはモラルも考えずにハイハイ従って、あれやこれやと段取り組んじゃったり、ボスの命じるがまま偽の結婚生活を演じるため、シーマを家に呼び母まで騙してしまうんです。なんだよみんな鬼畜かよ!可哀想なのがモデルのシーマで、シッダールタには騙されるわラーフルには騙されるわ、なんだか知らないけどラーフルと偽の結婚生活始めちゃうわで翻弄されまくりなんですよ。シーマはいつもおろおろしながら「こんなことやっててホントにいいの?」と自問しているんですが、周囲に流されて言うなりになってるんですよ。しかしそれも彼女なりに本当の愛が欲しいと思っているからで、決して意志が弱いとかいうことでもないんですよね。
こんな具合に本当はヒドイ話ではあるんですが、それをあくまでコメディとして描くところにこの作品の面白さがあるんですね。実の所ボスであるシッダールタは一人で空回りしているだけで傍から見るとバカみたいだし、ラーフルも一見ボスの言いなりになっているふりをしながら段々とシーマを守ろうとし始めるし、この辺の化かし合いの様子がいい具合に笑いへと繋がってゆくんですよ。結局ラーフルにも葛藤があって、ボスの言うことも聞かなきゃならない、でもシーマを渡したくない、という部分であの手この手の策を練ることになるんですね。まあ全体的に男目線の作品で、女性が観たらなんだかなあ、と思われるかもしれませんが、ラーフルとシーマのロマンス展開は結構盛り上がるし、シャールクとジュヒーの嫌味の無い演技が好感なので、割と悪くないんじゃないかな。


日本一のゴマすり男 [DVD]

日本一のゴマすり男 [DVD]

  • 発売日: 2006/05/26
  • メディア: DVD

3人の娘に惚れた3人の男の大騒動!?〜映画『Housefull 3』

■Housefull 3 (監督:サージド-ファルハド 2016年インド映画)


お金持ちの美人3人娘の恋した3人の男。しかし3人娘のお父さんは娘を嫁にやりたくない!男3人はなんとかして結婚に漕ぎ着けようと策を弄するが!?人気コメディシリーズ『Housefull』第3弾、『Housefull 3』であります。主演は『Housefull』シリーズでお馴染みアクシャイ・クマールとリテーシュ・デーシュムク、今回の新メンバーとしてアビシェーク・バッチャン。ヒロインにジャクリーン・フェルナンデス、ナルギス・ファクリー、リサ・ヘイドン。さらにボーマン・イラーニーとジャッキー・シュロフが脇を固めます。この作品、つい先ごろインドで公開され大ヒットを記録しましたが、日本でも上映会が開催され早速観に行って参りました。

《物語》ロンドンの大邸宅に住む富豪バトゥック・パテル(ボーマン)には愛しい3人の娘がいました。3人の名前はそれぞれガンガー(ジャクリーン)、ジャムナ(リサ)、サラスヴァティ(ナルギス)。お年頃の3人には交際している男性がいます。彼らの名前はサッカー選手のサンディ(アクシャイ)、カーレーサーのテディ(リテーシュ)、ラップミュージシャンのバンティ(アビシェーク)。しかし娘を嫁にやりたくないバトゥックはインチキ占星術師をでっち上げ、「もしも〇〇な男を連れて来たら父親は心臓発作で死ぬ!」と嘘の予言をします。それは「家に足を踏み入れた男」、「父を見た男」、「父に声を掛けた男」です。黙っていられないのは3人の男、彼らはそれぞれ「下半身不随」、「盲目」、「聾唖」のふりをしてまんまと父親の前に姿を現します。しかしそんな嘘もだんだんほころび始めて……。

さてまず最初にざっくり『Housefull』シリーズのおさらいをしてみましょう。『Housefull』シリーズは1、2作目とも大好評で迎えられましたが、その後監督のサジード・カーンはこんなコメディ映画を撮って大失敗しています。自分はこの映画、大好きなんですけど、インドでの評判はケチョンケチョンだったみたいですね。それでなのかどうなのか、今回の『3』は監督コンビ、サージド-ファルハドにバトンタッチされているんですね。サージド-ファルハドはもともと『Singham』『Bol Bachchan』『チェンナイ・エクスプレス 愛と勇気のヒーロー参上』などのシナリオ担当者でした。この監督交代劇が吉と出るか凶と出るかが今作の見所となるんですが、実際観たところ、「全体的にあっさりさっぱり小振りになったかな」といった感想です。例えば『1』は上映時間が155分、『2』は160分でしたが、この『3』は134分。上映時間だけから作品の良し悪しを判断する訳じゃありませんが、今までの『Housefull』シリーズが「しつこく・くどく・どこまでも引っ張りながら多数の登場人物が入り乱れくんずほぐれつの大騒動になる」部分で魅力があったところを、この『3』は妙にすっきりしてて、ネタを全然引っ張らないんですよ。その辺が上映時間にも反映されているんじゃないのかな。

自分はこれまでのシリーズの長時間に渡るどこまでもしつこいコテコテさを予想して、体力を温存しながら若干身構えつつ劇場で観ていたんですが、意外にあっさり終わったものですから「え?もう終わったの?」と思ってしまったぐらいです(それでも134分なんだけどね)。じゃあつまらなかったのかというとそうでもなくて、結構楽しんで観たんですけどね。劇場で英語字幕でコメディということから、全部のギャグを理解することは無理でしたが、それでも大笑いして観ることができましたね。ソフト化されたら是非購入して、今度はきちんと字幕を確認してもう一度楽しみたい、と思えたぐらいです。ギャグのネタはどれも大変下らないし、子供じみているといえばそれまでなんですが、だからこそ言葉のよく分からない自分でも大いに笑えたし楽しめたんですよ。気軽に観れるバカ映画としては十分なセンスではないでしょうか。

確かにネタの引っ張り具合が足りない分で小振りにはなっていると思います。主人公男性3人の「嘘」が、後半から割とどうでもよいものになってしまうからです。インド・コメディならここで「嘘に嘘を塗り固めた挙句、にっちもさっちもいかなくなる」部分に面白さを持ってくるのですが。中盤から登場するジャッキー・シュロフ扮するある男は、そんな物語に十分テコ入れすることに成功していますが、同じく登場する"3人のコワモテ男性"は物語を引っ掻き回しはしても、あまり効果的に生かされていません。しかしそれを補うのがアクシャイの二重人格演技。このジキルとハイドみたいなアクシャイ、メッチャ怖い顔をして暴れるんですが、この「危なさ」が作品の面白さに寄与していました。それと、アビシェークの徹底的な楽屋落ちネタ!何が登場するかは書きませんが、インド映画の好きな人ほど笑い転げること必至でしょう!歌と踊りもいい湯加減で登場し、「あーボリウッド娯楽作観たなー」と良い気分で劇場を出ることができました。

移植用心臓を運べ!タイムリミットは2時間半!〜映画『Traffic』

■Traffic (監督:ラジェーシュ・ピッライ 2016年インド映画)


緊急心臓移植を要する女の子を救うため、移植用の心臓を積んだ警察車が大渋滞のムンバイ/プネー間150キロを疾走する!タイムリミットは2時間半!しかしそこで思わぬ事態が!?という2016年に公開されたサスペンス映画『Traffic』です。しかもこの映画、チェンナイで起こった実話に基づいて製作されているそうなんですね。
出演は『Gangs of Wasseypur-Part1』(2012)、『Aligarh』(2016)、『Tevar』(2015)のマノージュ・バージパーイー、『Tanu Weds Manu』(2011)、『Bang Bang!』(2014)のジミー・シャーギル、『Veer-Zaara』(2004)『ミルカ』(2013)ディヴィヤー・ダッタ、『女神は二度微笑む』(2012)のパランブラタ・チャタルジー。監督はマラヤラム映画界で活躍するラジェーシュ・ピッライ。この映画自体も彼自身が監督したマラヤラム映画のセルフ・リメイクになります。

《物語》2008年、インドのプネー。俳優のデーヴ・カプール(プローセーンジト・チャタルジー)の娘は重い心臓病で入院しており、緊急の心臓移植をしなければ今日にも命を失う状態だった。一方、ムンバイではある青年が交通事故に遭い脳死状態に至る。急遽彼の心臓を移植することが決定し、ムンバイ/プネー間を搬送することになったが、悪天候により空路は使えず、陸路を行かざるを得なかった。その距離150キロ、さらに道は恐ろしいまでの交通渋滞にみまわれていた。不可能とも思われるその作戦に交通巡査のゴードボーレー(マノージュ・バージパーイー)らが挑む。タイムリミットは2時間半。

ムンバイ/プネー間150キロとはいいますが、日本に当てはめると東京駅から静岡県富士駅、長野県軽井沢駅ぐらいまでの距離になるようですね。日本に当てはめてみましたがやっぱりピンときませんね。さらに150キロの距離を2時間半といいますと、渋滞も信号も無ければ時速60キロもあれば辿りつける計算になりますから、もっと飛ばせばなんとかなりそうじゃないですか。もちろんこれは数字の上だけの話で、映画じゃムンバイは大渋滞なわけで、搬送命令を出されたムンバイ警察交通局長のグルビール(ジミー・シャーギル)さんなんかは「無理っすよ!できませんよ!」と最初断ったぐらいなんですよ。

でも交通警察だろー交通規制かませりゃなんとかなんじゃね?と思ってたらやっぱり規制入れちゃって、あーこれだったらなんとかなるよねーと観ているほうは思います。でもこれじゃあサスペンス映画として盛り上がりに欠けてしまいますね。TVの「世界仰天ニュース」みたいな番組で5分とか10分かけりゃあ説明できてしまう物語になっちゃいます。ところがですよ。ここでとんでもないことが起こっちゃうんですよ!「こんな時にまさかこんなことが!?」という展開に思わず唖然呆然ですよ!

それと併せてねー、搬送車は1台だけしかいなくて、「他の車やとかバイクで先導しろよ!」と思うし、「カーナビもないのかよ!」と思ったし(一応2008年という設定なんだけど)「何でこんな時お祭りやってんだよ!邪魔だよ邪魔!」とも思ったんですが、そこは全部「インドだから」ということで無問題だということにしておきましょう!いや問題ですが!

そんなこんなの複合的な悪事情と、それと例の「とんでもないこと」のおかげで、中盤からクライマックスにかけて「なんじゃこりゃ!?どうなっとんのじゃこりゃ!?」と大いに盛り上がってくれました。ただ、最初の40分ぐらいはドナー家族と病気の家族の愁嘆場が描かれて少々出足は遅いです。その辺優しい目で観てあげれば100分という上映時間、サクッと観られて楽しめる物語なんじゃないかな。

栄光を掴むため戦いに挑む負け犬コーチと新人女子ボクサーのスポ根ムービー『Saala Khadoos』

■Saala Khadoos (監督:スダー・コーンガー 2016年インド映画)


負け犬ボクシングコーチと彼が見出した女子ボクサーとが、様々な困難を経ながら勝利への階段を上ってゆくというスポ根映画『Saala Khadoos』です。

主演となるコーチ役に『きっと、うまくいく』で眼鏡をかけた丸顔の青年ファラン・クレイシーを演じたR. マーダヴァン。でもその彼が大変身しているんですよ!そして女子ボクサー役にリティカー・シン。実は彼女、本当に総合格闘技とキックボクシングで戦うファイターで、今回オーディションにより主演女優に抜擢されたというわけです。だから格闘シーンはお手ものですね!それと今作、製作に『pk』『きっと、うまくいく』のラージクマール・ヒラニーが参加しているのも注目ですね。

《物語》デリーに住むアディ(R. マーダヴァン)は実力のあるボクサーだったが、ボクシング協会の腐敗した政治体質により選手生命を絶たれていた。10年後、女子ボクシングチームのコーチとなった彼だが、またしても協会の横槍が入り、チェンナイに飛ばされてしまう。しかしアディはその地で、素晴らしいボクシング素質を持った漁師の娘マディ(リティカー・シン)を見出す。始めはやる気を見せなかったマディだが、いつしかボクシングの魅力に目覚め、実力を開花させてゆく。しかし、陰湿なデリーのボクシング協会はそんな二人を見逃してはいなかった。

インド映画で女子プロボクシングというとプリヤンカー・チョープラー出演の『Mary Kom』(2014)という作品がありました。これは「インドボクシング界で最も成功した選手のひとり」と呼ばれる女性、マリー・コンの半生を描くスポーツ伝記ドラマで、「女性が格闘スポーツと家庭を両立させ、さらに社会から認められること」という女性映画的な側面がありました。一方この『Saala Khadoos』は「事実からインスパイアされた」とありますが、基本的にスポ根モノの王道を行く作品ということが出来るでしょう。

まずなにしろマディのキャラがいい。負けん気が強く試合では闘志剥き出しの表情を見せる彼女ですが、普段はとても素直であっけらかんとした素顔を持つ陽性キャラ。余計な情念を持っていない部分もいいですね。コーチに恋心を抱いちゃうなんてエピソードも可愛らしいじゃないですか。もちろん試合中の動きは流石本物のファイターだけあって遜色在りません。演じるリティカー・シンは十分魅力的で今後彼女をどんな映画で生かすことが出来るか楽しみです。

そんなリティカーさんが本職のキックボクシング試合をしている映像はこちら!(映画じゃないですよ)

一方アディは見た目通りどこまでも男臭く逞しく、有無を言わせぬ鬼コーチぶりを見せますが、ふと見せる包容力に溢れた態度に惚れそうです。そんな二人の共通点はかっとなり易くすぐ暴れ出すところ!まあなにしろ王道スポ根ムービーなので展開は定番通りに進みますが、やっぱりクライマックスに向かうにつれ物語はどんどん熱くなり試合は熾烈を極め、観ているこっちもすっかり物語にのめり込んで二人に歓声を送ることになります。途中「絶対あしたのジョー読んでるだろ!?」という展開があってニヤリとさせられますよ!

それと主な舞台となるのが南インド、チェンナイというのがいいですね。主人公マディはチェンナイの貧しい人々の住む地域で暮らし魚を獲ったり売ったりして生活していましたが、貧しいとはいえこの生活感がなんだか観ていて馴染むんですよ。チェンナイという場所の開放感溢れるロケーションがそう思わせるのかもしれません。最初はマディのボクシング生活に関心を持たなかった彼女の父親が、試合を経るにつれ娘に大歓声を送るようになる様は泣かせます。

それにしても何故チェンナイなのでしょう?Webサイト「THE HINDU」の「Rolling with the punches」という記事を読んだところ(英文)、もともと北チェンナイでは女子ボクシングが非常に盛んなのだそうなんですね。それは世界の様々なゲットーから生まれるボクサーと同じように、プロボクサーになることが、貧困から抜け出すことのできる大きなチャンスの一つだからだというのです。北チェンナイのボクシングはモハメド・アリ人気が手伝って70年代から盛んになり始めましたが、90年代後半から女子選手が現れるようになり、政府もそれに助成を行っているようなんですね。

そして最後に言いたいのは、なにしろ主演のR・マーダヴァンの変わりようですよ!『きっと、うまくいく』や『Tanu Weds Manu』の時はこんなだったのに、
 
今回なんかこんな髭もじゃガチムチな上に、探したらこんな色男写真までありましたよ!?これホントにマーダヴァンなんですか?固太り体型のオレもこんな髭生やせば色男になれますかね……?
 

www.youtube.com