■Paa (監督:Rバールキー 2009年インド映画)
この作品は正常な子供よりも急速に身体が老いてゆく奇病、プロジェリア(ハッチンソン・ギルフォード・プロジェリア症候群、いわゆる「早老病」)に罹る少年とその家族とを描いたドラマである。そしてアミターブ・バッチャン、アビシェーク・バッチャンという"バッチャン親子"の共演が楽しめるという部分でも注目を浴びた。しかもなんと少年役をアミターブが演じるのだ。そしてその母親を演技力では定評のあるヴィディヤー・バーランが演じている。タイトル『Paa』は「お父さん」といった意味となる。
《物語》小学校に通う12歳の少年オーロ(アミターブ・バッチャン)はプロジェリアという奇病に罹っており、老人のような外見をしていたが、明るくひょうきんな彼は学校中の人気者だった。ある日、オーロが学校創立式典のために作ったオブジェに国会議員のアモール(アビシェーク・バッチャン)が関心を示し、オーロに最優秀賞を与えることになった。その様子を放送するTVを見ていたオーロの母ヴィディヤー(ヴィディヤー・バーラン)は驚愕した。実はアモールはヴィディヤーの学生時代の恋人であり、オーロはその時妊娠した子供だったのだ。しかし政界を目指すアモールのためヴィディヤーは彼と別れて子供を生み、プロジェリアと知った後も母と二人で気丈に育てていたのである。
この『Paa』、何が凄いといって12歳の難病少年を還暦のアミターブ・バッチャンが特殊メイクを施し演じてしまう、それに尽きる。しかもさらに驚かされるのが、それが全く違和感がないということ、それだけでなく、徹底的な名演で観る者を魅了してしまう、という部分である。正直なところ「老人化した少年」といったビジュアルはやはりどこか恐ろしい。にもかかわらずアミターブがそれを生き生きと演じることで、めちゃくちゃチャーミングに見えてくるのだ。もうこれは演技の魅力、技量としかいいようがない。そもそも大男のアミターブが子供を演じ、そして子供と思わせてしまう時点で恐るべきものがある。逆にこれが普通に小柄な俳優、または子供が演じていたら生々しいものになって観ていて居心地が悪かったかもしれない。なにしろこの「チャーミングなアミターブ」が作品の屋台骨となって全体を支えているのだ。
もうひとつはいわゆる「難病モノ」の作品にもかかわらず、作品全体が暗さや湿り気を感じさせないカラッとしてユーモラスな明るさを醸し出していたことだろう。これはもちろんオーロのキャラに負うものが大きいが、オーロと周囲との関係の良さも影響を与えている。まずなにしろ母親であるヴィディヤーの気丈さだ。そもそもの発端であるアモールとの別離の悲しみも、生まれた子がプロジェリアと知った時も、驚くべき意志でその悲しみを乗り越えてゆく。プロジェリアの子供は長生きはしないことをヴィディヤーは知っている。だからこそヴィディヤーは精一杯オーロを愛し短くても楽しい人生を送らせようとする。今できることを、できるだけする。ヴィディヤーのこんな前向きさが素晴らしいのと同時に、ヴィディヤー・バーランはそれを軽やかに演じてゆくのだ。同時に、オーロを取り巻く学校、同級生たちの温かさも目を見張る。この作品ではイジメすら描かれないのだ。
この作品はオーロの人生を中心としながら、母であるヴィディヤーと、本当の父であるアモールとの、再会の物語としても描かれる。アモールはオーロが自分の子供とは知らないまま彼に愛情を注ぎ続ける。ヴィディヤーは心のわだかまりから、そんなアモールの行動を知りつつも、決して自分の存在も、彼が父である真実も明かそうとしない。そして物語は、この二人がいつ顔を会わせるのか、真実を知るのか、そして和解することができるのか、ぎりぎりまで焦らせながら進行してゆく。恋人と子供を捨てたという過去の汚点を反省し、どこまでも真摯に誠意を見せようと努力する政治家アモールの姿もまた素晴らしいのだ。演じるアビシェーク・バッチャンは、精悍で知的な演技に徹し、実を言うとこれまで見たことがないぐらいいい男に見えた(意外とこれが素なのかもしれない)。こうして、主役3人のたぐい稀な演技と存在感が相乗効果を成し、この作品は単なる「難病モノ」の範疇を超えた秀作として完成したのだ。