インド映画を巡る冒険(仮)

以前メインのブログに書いたインド映画記事のアーカイヴです。当時書いたまま直さず転載しておりますので、誤記等ありましてもご容赦ください。

私はラジオ・ジョッキー / 映画『Tumhari Sulu』

■Tumhari Sulu (監督:スレーシュ・トリヴェニ 2017年インド映画)

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ムンバイに住む平凡な主婦があることをきっかけにセクシーヴォイスなラジオ・ジョッキー(以下:RJ)になっちゃう!?けれどもそれがきっかけに思わぬ波乱が巻き起こり……というヴィディヤー・バーラン主演のコメディ作品です。実はオレ彼女が大好きで、この作品も楽しみにしていました(ところで『Kahaani 2』はいったいいつになったらソフト化されるの?)。監督は今作が長編初となるスレーシュ・トリヴェニ 。ちなみに「ラジオ・ジョッキー」というのはラジオ・パーソナリティーのインド/パキスタンでの呼び方みたいですね。

《物語》ムンバイに住むスル(ヴィディヤー・バーラン)は夫と11歳の息子と暮らすごく平凡な主婦。社会に出たいと夢見つつなかなか思うようにはいきません。そんなある日彼女はラジオ番組の商品が当選したことがきっかけとなり、RJのオーディションに挑戦します。キャラクターが買われ晴れてRJとなったスルですが、勧められてセクシーヴォイスを披露してみるとなんとこれが大人気、あれよあれよという間に売れっ子RJになってしまいます。けれども彼女の親戚連中ははしたないと猛反発、息子は学校で馬鹿にされ、夫まで困惑した表情。さらに夫の仕事がうまくいっておらず転職の危機。さてさてスルと彼女の一家の運命やいかに!?

女性の社会進出や自己実現を描くインド映画は、古くはサタジット・レイ監督の『ビッグ・シティ』(1963)、同監督の『チャルターラ』(1964)あたりが記憶にあります。これはある意味、インド映画が数十年前から女性の社会的立場に意識的だったという事なんですね。とはいえこれはあくまで映画の話で、現実にはそれがなかなか困難だったからこそ映画という夢に託したのだということもできるでしょう。どちらにしろインド映画はそういった先鋭さがあります。先ごろ惜しくも亡くなられたシュリデヴィの『マダム・イン・ニューヨーク』(2012)もやはり女性の自己実現の物語でしたね。

映画『Tumhari Sulu』も女性の社会進出と自己実現の物語だという事が出来ます。主人公のスルは平凡な主婦とは言え、映画冒頭からいろんな事にいっちょかみしたがる癖があることが描かれ、これは常に「自分の社会的立場を変えてみたい」という意欲が満ちていたことの表れだったのでしょう。だからRJの仕事に就けたのも、それは「たまたま」なんかではなく、彼女のそんな意志の力がやっと実を結んだと言えるんです。

彼女はラジオでセクシーヴォイスを披露し人気を博しますが、それも彼女の表現力や想像力の豊かさ、さらに機転の利く会話術があったればこそです。やはりこれも「たまたま」なんかではなく、常にいろんなことにチャレンジしてゆきたい、という彼女の行動力の賜物だったのでしょう。スルはいつも「変えてゆきたい」と願って行動していた。夢は、見ているだけではダメで、行動が伴わなければならないんだ、というメッセージも作品にはありそうです。

そしてそれがやっと結果となった。その喜びはひとしおだったでしょう。映画ではRJとして成功し夢の叶ったスルの幸せに満ちた姿が描かれ、観ているこちらもなんだか幸福感に包まれてしまいます。映画ポスターにあるヴィディヤー・バーランの変なポーズは、あれはスーパーマンが空を飛んでいるポーズで、その時彼女はスーパーマンになったかの如き全能感に包まれていたんです。人間の幸福感を映画で描かせるとインド映画は群を抜いて素晴らしい。このシーンでオレはちょっと名作インド映画『クイーン』(2014)を思い出した位でした。

しかし夢に溢れた成功体験の物語は中盤まで。中盤からはありとあらゆる問題が噴出して主人公を悩ませます。まず、仕事と家庭の両立です。忙しさのあまりスルは夫や子供の声や気持ちを汲み取ってあげられる余裕がなくなってゆきます。夫は仕事に行き詰っています。息子は学校で問題を起こしてしまいます。でもスルはなかなかそれに気付けません。こういった家庭でのちょっとした行き違いの様子は、ヴィディヤー・バーラン主演作『Shaadi Ke Side Effects』(2014)を彷彿させます。そして親戚問題。スルの姉や父親が、セクシー・ヴォイスを披露する彼女のRJになんやかやと難癖をつけ、仕事を辞めさせようとします。

こうした、スル一人の努力や気持ちだけではどうしようもない問題が次々と起こってゆきます。女性の社会進出や自己実現は素晴らしい事ですが、それを受け入れてあげられる社会やコミニュティの意識の在り方、意識の変革がなければ、やはりそれは果たせない事なんです。物語はそのあたりもきちんと描いていて、単なる一人の女性のサクセスストーリーで終わることをしていません。

こうして主演のヴィディヤー・バーランは夢と現実、仕事と家庭の狭間で七転八倒する主人公の姿を時にユーモラスに、時に溢れんばかりの情緒で、徹底的に演じ切ります。ちょっとした表情や態度、声の出し方などの非常に細かやな演技から、観ている者は主人公スルの心の移り変わる様を手に取るように理解できますが、それも彼女の圧倒的な演技スキルがあったればこそでしょう。こういった演技の素晴らしさを堪能できるという意味でも優れた作品でした。あと、意外と歌と踊りが多かったのもみっけものでしたね。