インド映画を巡る冒険(仮)

以前メインのブログに書いたインド映画記事のアーカイヴです。当時書いたまま直さず転載しておりますので、誤記等ありましてもご容赦ください。

巨大アパートに迷い込んだ浮浪者と住民たちとのドタバタを描く傑作クラシック・コメディ〜映画『Jagte Raho』

■Jagte Raho (監督:サンブー・ミトラ、アミット・モイトラ 1956年インド映画)

■非常にユニークな傑作コメディ

1956年にインドで公開されたモノクロ映画『Jagte Raho』は、一人の浮浪者が体験する大騒動の一夜を描いたコメディ作品だ。主演はラージ・カプール、共演としてモティラル、プラディープ・クマール、スミトラ・デヴィ。他にナルギスがカメオ出演する。

《物語》田舎からカルカッタの街にやってきたものの、職もなく住むところもなく夜の通りを彷徨う浮浪者の男(ラージ・カプール)がいた。喉が渇いてどうしようもない彼は、消火栓を弄っているところを警邏中の警官に見とがめられ、慌てて近くの巨大アパートにもぐりこむ。なんとか水を飲めないものか……アパートをうろつく彼は住民たちにコソ泥と間違われ、逃げ出そうとするも今度はアパートから出られない!遂に住民たちは自警団を急ごしらえし、さらには警官隊までがやってきて、上を下への大騒ぎと発展してしまう。頭に血ののぼった住民たちを相手に、浮浪者は逃げ出すすべがあるのか!?

非常にユニークであり、楽しめて、感嘆させられる物語だった。この作品のユニークさは以下の部分にある。

・たった一夜だけの事件を扱った物語である。
・舞台の殆どが1棟の巨大アパートだけに限定されている。
・主人公が殆ど喋らず、パントマイム演技だけで物語を進行させる。
・そういったシチュエーションの中に様々なエピソードを盛り込んだコメディであり、ストーリー自体はさして無い。

こういった骨子を持った作品は、確かに今では珍しいものではないが、これが1956年公開の、インドのモノクロ映画に存在していたという部分に、新鮮な驚きを覚えたのだ。このような作品は昨今のインド映画でもあまり見られないのではないか。

■浮浪者の悲劇?

主人公は農村から大都会にやってきた食いつめ者という設定で、ぼさぼさの頭にぼうぼうの無精ひげ、見るからにみすぼらしく汚らしい格好という、なんだかビートたけし演じる鬼瓦権蔵状態である。しかし実のところ彼は純粋で小心な田舎者でしかないのだ。そんな彼が何もしていないのにコソ泥呼ばわりされ追い回され、涙目になりながら巨大アパートを右往左往するさまが、可笑しくもあり気の毒でもある。しかもそもそもの発端が「水が飲みたい」だけだったということが一層気の毒さを醸し出すではないか。

そんな男をラージ・カプールが熱演するが、これがなんと殆ど言葉を発しないパントマイムだけの演技。貧者のペーソスを描いたコメディという部分からも、これは多分にチャップリン映画を意識したものなのだろう。ラージ・カプールチャップリン好きだったらしく、自らの監督作品でもチャップリン的なモチーフを散見するが、今作の演技もラージ・カプール自身が監督に提案したのかもしれない。そして殆ど喋らないとは言いつつ、クライマックスでは『チャップリンの独裁者』ラストの如き大演説をする部分にまたもチャップリンへの偏愛を感じるではないか。

■住民大パニック!

主人公が迷い込んだ巨大アパートは資料によると200以上の部屋があり、1000人余り住民が住む施設ということになっているらしい。50年代のインドに実際にこのような巨大住宅があったのかどうかは分からないが、あったとするとそれなりの中流家庭が住む住宅施設ということになるだろう。こういった点から、この物語は保守化した中流層の排他性を描いたものと見ることもできる。そしてまた、この作品は浮浪者の目を通し、これら中流層の退廃をもえぐりだすことになる。

それは浮浪者が逃げ込む幾多の住民の部屋で展開する薄暗いドラマだ。ある部屋では金に困った男が眠っている妻の装飾品を奪おうとし、またある部屋では密造酒を作っている男がいる。そしてまたある部屋では組織ぐるみの偽札作りまで進行しているではないか。浮浪者一人にパニックを起こし、全アパート住民挙げての自警団を組織し、軍隊よろしく隊列を組んで廊下を進む姿などは、滑稽であると同時にうっすらとした狂気さえ感じてしまう。こうしてこの物語は浮浪者の逃走劇のみに留まらない多面的な物語構造を成すことになるのだ。

とはいえ、こういった人間たちの馬鹿げたドタバタこそが面白い物語でもある。インドのモノクロ・クラシック作品というと少々敷居が高く感じるかもしれないが、この『Jagte Raho』は誰でも楽しめるシンプルなコメディ作品であること、インド映画界の名優ラージ・カプール主演作品であり、その演技の素晴らしさはお墨付きであること、などを鑑みるなら入門編として最適なのではないか。古い作品ということもあり腹を抱えて大爆笑、という類のものではないが、非常に味わい深い含みを持ったコメディ作品として是非お薦めしたい。