インド映画を巡る冒険(仮)

以前メインのブログに書いたインド映画記事のアーカイヴです。当時書いたまま直さず転載しておりますので、誤記等ありましてもご容赦ください。

ドフトエフスキー『白夜』を原案とした美しい耽美ドラマ〜映画『Saawariya』【バンサーリー監督特集その4】

■Saawariya (監督:サンジャイ・リーラー・バンサーリー 2007年インド映画)


まだまだ続く「サンジャイ・リーラー・バンサーリー監督週間」、今回は2005年の『Black』に続き2007年に製作された映画『Saawariya』。ドフトエフスキーの短編小説『白夜』を原作としたミステリアスなラブ・ロマンス作品である。主演は『バルフィ!』のランビール・カプールと『ミルカ』のソーナム・カプール。二人はこの作品が映画初出演作となる。他にラーニー・ムカルジーが脇を固め、サルマーン・カーンがゲスト出演している。そして今作はバンサーリー監督の美意識が大爆発する耽美映画となっており、公開当時物議を醸したらしい。

《物語》いつも宵闇に包まれた、いつの時代とも、どこの国のどの場所ともつかない奇妙な町があった。その町にふらりと現れた宿無し男ラージ(ランビール・カプール)は、立ち寄ったバーにいた妖艶な娼婦グラービー(ラーニー・ムカルジー)と知り合い、バーでの歌手の仕事と住処を手に入れる。ある夜ラージは橋の上に佇む美しい女を見初め彼女に近づく。しかし彼女サキーナー(ソーナム・カプール)にはイマーン(サルマーン・カーン)という名の意中の人がいた。イマーンはかつてサキーナーの家の間借り人であり、二人は愛し合っていたが、イマーンはいつか帰ってくると告げて旅に出てしまい、サキーナーは毎夜橋の上に佇み彼の帰りを待ち続けていたのだ。そんなサキーナーをなんとか振り向かせようとするラージだったが…。

この『Saawariya』、バンサーリー監督がそのあらん限りの美意識を発揮させ、微に入り細に入り徹底的に美術にこだわりまくって作られた作品だ。物語の中心的な舞台となる町全てがセットで組まれ、そこに建つ建物は西洋と中東が混ぜこぜになった無国籍的なものだ。ヨーロッパ風のバーに英語のネオンが瞬いたかと思うとその横にはイスラムのモスクが建ち、さらに巨大なブッダの顔面像が置かれ、町の中心にはベネツィアを思わせる運河が流れている。町は常に夜の中にあり、それら全てが深海の底にあるかのような青と緑に染められているのだ。どこまでも幻想的なこれらの光景はまるで白日夢を見せられているかのようだ。この不思議な町を俯瞰した映像は2001年製作のバズ・ラーマン監督によるアメリカ映画『ムーラン・ルージュ』の猥雑な混沌を想起させ、意外とサンジャイ監督のインスピレーションの元になったのかもしれない。

この幻想に彩られた町で起こった物語もまた夢の中の出来事のようにはかなく、そしてその登場人物たちさえ影絵の中の人形のように朧である。男女の恋とそのすれ違いを描くその物語はどことなく茫漠としており、シンプルに過ぎて膨らみが足りなく思える。夢幻の中で生きる恋人たちには血肉が感じられず、感情の発露があったとしてもどことなく図式的で観る側の心を動かすことが無い。これはバンサーリー監督が映像の美を追い求め過ぎた挙句、主幹となる物語と登場人物それ自体もひとつの書割のように扱ってしまったからではないのかと思える。また、美しく壮麗な町のセットは最初こそ目を奪うものがあるにせよ、予算の関係だろうが広大というものではなく、映画の進行の中で同じ場所を何度も見ることになるとさすがに飽きてくる。結局、イメージの段階では秀逸だったのだろうが映画として完成してしまうとメリハリの欠けたものになってしまったということだろう。

こういった点から、この作品が賛否両論だったのも興行的に振るわなかったのも納得できるが、かといって失敗作と切り捨てられない部分もある。この作品はバンサーリー監督が自らの表現欲のままにやりたいことをとことんやってみた、いわばバンサーリー監督の「核」となるような作品ではないかと思えるのだ。とことんやり過ぎて脱線した所はあるにせよ、バンサーリー監督の他の作品はこの「核」を薄めて他の要素を付け加えることで成り立っているような気がする。そういった意味でバンサーリー監督を知る上では重要な作品だともいえる。配役では映画初主演のランビール・カプールが若々しい顔を見せていた。一方こちらも映画初出演だったソーナム・カプールは期待に反し演技も表情も固く精彩に欠けていたのが残念だった。ラーニー・ムカルジーは安定の演技だったが、それよりもちょい役ながら謎めいた男を演じたサルマーン・カーンはさすがにベテランの存在感を醸し出していた。


白夜 (角川文庫クラシックス)

白夜 (角川文庫クラシックス)