■Hum Dil De Chuke Sanam (ミモラ 心のままに) (監督:サンジャイ・リーラー・バンサーリー 1999年インド映画)
サンジャイ・リーラー・バンサーリー監督週間と勝手に名づけてレヴューを書いているが、今回は1999年製作のバンサーリー監督デビュー2作目である『Hum Dil De Chuke Sanam』。この作品は愛し合うカップルが親の決めた結婚相手の登場により引き離されるが…といったインド映画ではお馴染みのオーソドックスな体裁を持ったラブ・ロマンスだが、その後の展開に独特なドラマを持つ作品となっている。サルマーン・カーン、アジャイ・デーヴガン、アイシュワリヤー・ラーイといった出演陣の共演も見どころとなっているだろう。またこの作品は2002年に日本において『ミモラ 心のままに』というタイトルでロードショー公開された。ただし日本語版ソフトは廃盤となり、自分個人は英語字幕での鑑賞となった。
《物語》ラージーャスターンの古典声楽家パンディートの家に、イタリアからインド音楽を学びに青年サミル(サルマーン・カーン)がやってくる。明るくお調子者のサミルにパンディート家の面々はたちまち魅了され、それはパンディートの18歳になる娘ナンディニ(アイシュワリヤー・ラーイ)も同様だった。サミルとナンディニはすぐさま恋に落ち、密かに逢瀬を重ねる。だがそれがパンディートの逆麟に触れ、サミルは破門、ナンディニは青年弁護士ヴァンラジ(アジャイ・デーヴガン)と結婚させられてしまう。ナンディニはイタリアに去ったサミルのことが忘れられず、ヴァンラジとは冷たい関係を続けていた。ヴァンラジはそんな結婚生活に耐えきれず、遂に一緒にイタリアに行ってサミルを探そう、ともちかける。
デビュー2作目してこの作品には後のバンサーリー監督作品の原型ともなるべきモチーフがそこここに見受けられる。特に前半は2002年に公開されたバンサーリー監督の3作目、名作として知られる『Devdas』に展開が非常によく似ている。主だった舞台となるパンディート家の豪奢な美術、イタリアの青年サミルの登場、それにさんざめくパンディート家の面々、サミルとナンディニの出会いと逢瀬といった展開はどうしても『Devdas』と重なってしまう。これは『Devdas』映画化が既にバンサーリー監督の念頭にあり、その作品構成の模索がこの作品にあらわれているのかもしれない。まあこれはヒロインを演じるアイシュワリヤーが引き続き『Devdas』に出演しているのでそう見えてしまうという部分もあるだろう。
この作品で興味深かったのはサミル/ナンディニ/ヴァンラジのいわゆる三角関係の在り方だろう。前半は相思相愛のサミル/ナンディニの間に親の決めた結婚相手であるヴァンラジが割り込み、サミル/ナンディニに葛藤をもたらす、といった、インド映画の定番的な物語展開を見せるが、ここまでの展開ではどうしても明るく人気者のサミルに心情的に肩入れし、どうにも陰鬱な顔つきをしたヴァンラジは当然敵役のように思えてしまう。しかしインターミッションを挟みヴァンラジ/ナンディニが中心となった物語に様変わりすると、そのヴァンラジが不器用ながら実は誠実な男であり、深い優しさを持った男であることが明らかになり、観る者の心理はここで揺さぶりをかけられるのだ。
実は観始めた当初、サルマーン・カーン、アジャイ・デーヴガンといった配役に戸惑いを感じていた。それぞれにキャリアが長く実力人気共に高いスター俳優であり、個人的にもとても好きな俳優だが、これまで観たバンサーリー監督作品の主演男優と比べるとキャラクター造形に陰影の乏しいものを感じたのだ。しかし明るいが軽薄なサミルと生真面目で暗いヴァンラジというキャラ分けは、最後まで観てみると実に分かり易い明暗に分けた配役だとわかり、納得がいくのだ。さらにそのどちらのキャラも、実に魅力と人間味に溢れ、そして観ている者は、どちらのキャラも好きになってしまうのだ。そしてこれは、二人の間で心の揺れるヒロインの心理に観る者を完璧にシンクロさせる演出ではないか。
もうひとつ興味深かったのはバンサーリー監督作品登場人物の理性と情念のあり方だ。『Devdas』ではそれはコントロール不能なものとして描かれるが、他の作品では危ういバランスをとりながら崩壊一歩手前で綺麗に均衡を戻すのだ。そこから考えると『Devdas』の狂気にも似た情念は、逆に理性の側から情念というもののあり方を注意深く観察して構築したもののように捉えられる。この『Hum Dil De Chuke Sanam』でも恋と愛の究極の選択の中で彼らは自らの情念に翻弄されてゆくけれども、ぎりぎりの状況の中で最後に理性を保つ。それはバンサーリー監督自身が人間の理性というものを信じていることの表れととれるし、また、表現者として過剰な情念にそれほど興味を持たない、ということともとれる。なぜならバンサーリー監督の興味の中心はその美術にあるからだ。
ところで作中、「The Drums Beat」と歌い踊る曲「Dholi Taro Dhol Baaje」のシーンが、『Ram-Leela』の「Nagada Sang Dhol」が歌われるシーンと振り付け、衣装、サビの部分が良く似ていて、『Ram-Leela』好きの自分としてはニヤリとしてしまった。