インド映画を巡る冒険(仮)

以前メインのブログに書いたインド映画記事のアーカイヴです。当時書いたまま直さず転載しておりますので、誤記等ありましてもご容赦ください。

奴の名はドン!ドンドンド〜ン!!/映画『Don』【アミターブ・バッチャン特集 その10】

■Don (監督:チャンドラ・バロート 1978年インド映画)

奴の名はドン!
壁に押し付けられて胸キュン!
それは壁ドン!
滋賀県彦根市のユルキャラ!
それはひこどん!
巨泉のクイズダービー
それは倍率ドン!
秘伝のニンニク醤油ダレを絡めた豚バラ肉を大盛りご飯にのせたスタミナとボリューム満点!
それはすた丼!
いいやそうじゃない!
ドンは暗黒街のボス!
インターポールの最重要指名手配リストに載る男!
奴を巡って巨大な陰謀が渦を巻く!
奴の名はドン!
ドンドンド〜ン!!

というわけでインド映画の皇帝ことアミターブ・バッチャン主演による1978年公開作品、アクション映画『Don』でございます。今回アミターブ演ずるのは悪の帝王ドン。響きのいい名前ですな。ドン。なんだかドンドコド〜ン!って感じじゃあーりませんか。ドンといいますと尊称だったりマフィアの首領の意味だったりしますから、本名というより「組長」「大親分」みたいな意味なんでしょうな。この作品は大ヒットを飛ばし、2006年にシャー・ルク・カーン主演作『Don 過去を消された男』としてリメイクされております。でもこっちのリメイクまだ観てませんが…。

さて物語です。悪の帝王ドン(アミターブ・バッチャン)はその名にし負う冷酷で狡猾な男。周りにはいつも凶暴そうな顔の男たちが取り巻き、悪事の計画に余念がありません。警察はドンの組織を叩き潰すため包囲網を敷き、ドンを追い詰めてゆきます。そして激しいカーチェイスの末、ドンは遂に警察官に射殺されます!ええ!?話終わっちゃうじゃんかよ!?いや、実は物語はここからなんです。副警視デ・シルヴァ(イフテーカル)は組織の残党を逮捕するため、ある計画を秘密裏に推し進めます。それはドンと瓜二つの男、大道芸人のヴィジャイ(アミターブニ役)をドンに仕立て上げ、組織に送り込むこと。しかし最初は上手くいっていた計画は次第に綻びを見せ始めるのです。

非常に楽しめる作品でした。まず悪党ドンの黒光りした悪辣ぶりと惚れ惚れするような不敵さです。こんなドンだけでニヒルピカレスク・ロマンを1本撮っても成功したかもしれません。そしてこのドンが死んだ後に身代わりで立てられた大道芸人の男、ヴィジャイの素の姿がひょうきんで愉快なんです。なんかもうコテコテなんですね。ビジャイ登場時の歌と踊りが楽しく、この二役を演じたアミターブの演じ分け方が実に光ってましたね。ビジャイは巧みにドンに成り済ましますが、ボンベイの洗濯場で酔っぱらって素に戻ってしまい、ここで歌って踊る姿がまた楽しかったりします。また、「俺はドンだ!」と歌って踊るシーンでは、周りがドンを指さし「ドン!ドン!ドン!」とかやっていて妙に可笑しかった。

そして脇を固める面子が一癖も二癖もある連中ばかりなのがまたいい。まず冒頭でドンによって悪の道に引き込まれてしまうサーカスの軽業師ジャスジート(プラーン)。数奇な運命に弄ばれる彼はドン/ヴィジャイの敵となるか味方となるか!?そしてドンに復讐を誓う娘ロマ(ズィーナト・アマン)はジュードー・カラテを会得して組織に侵入します。いやーなにしろジュードー・カラテですよ。日印友好ですね。彼女は最初ヴィジャイをドンと思い込み命を狙いますが、常に殺意を浮かべた目つきにはシビレさせられます。他にも、ドンの取り巻きとなる悪党どもは誰も彼も実に悪い顔をした俳優ばかりで、よくこれだけ集めたなあと観ていてニンマリしてしまいました。

こうして物語はドンに成り済ましたヴィジャイと、彼を取り巻く悪党、密かに彼の命を狙うロマ、さらに副警視デ・シルヴァの思惑などが絡み合いながら二転三転してゆきます。常に予想を覆し危機また危機がヴィジャイを襲うシナリオはよく練り込まれていて、息を付く暇さえないほどです。アクション・シーンはどれも派手で見応えがあり、この時代のインド・アクション作品としても高水準だったのではないかと思わされます。歌や踊りはあってもオチャラケやロマンスで本筋から外れることが無く、クライム・ムービーとしての緊張感を常に保っています。こうして並べてみると実に完成度の高いアクション作なんですね。アミターブ出演作は『Sholay』が何しろ最も有名ですが、痛快娯楽アクションとしてこの『Don』もお勧めしたいぐらいに傑作でしたよ。

ギャングの兄、警察官の弟、そして変な悪党が大乱戦!/映画『Parvarish』【アミターブ・バッチャン特集 その9】

■Parvarish (監督:マンモーハン・デーサーイー 1977年インド映画)

■ギャングの兄!警察官の弟!

ギャングになった兄と警察官になった弟!善の悪との対立!という1977年のインド映画です。ん?なんか聞いたことのあるようなプロットじゃない?アミターブの『Deewaar』(レビュー)もそんな話だったよね?と思われる方もいるかもしれません。しかしこの作品、なーんだか妙におかしい描写が味わい深くて実に楽しめたんですよね。主演はアミターブ・バッチャン、そして『Amar Akbar Anthony』(レビュー)でも共演したヴィノード・カンナー(今調べて知ったんですが『ダバング 大胆不敵』でチュルブルのお父さん役もやっててたんですね!?)、さらに往年のインド名男優シャンミー・カプールが出演しております。

物語は警察官シャムシャー(シャンミー)が盗賊マンガル・シン(アムジャッド・カーン)を追い詰める場面から始まります。マンガル・シンは逃走しますが、シンの身重の妻が子を産んで死んでしまいます。シャムシャーは子供を哀れに思い自宅に引き取り、本当の息子と共に育てることにします。それから幾年月、二人の息子は大きく育ちます。マンガル・シンの息子アミット(アミターブ)は警察官となり、シャムシャーの本当の息子キシャン(ヴィノード)は密かにマフィアの構成員となっています。実はこのマフィアのボスというのが盗賊マンガル・シンであり、キシャンのほうを自分の本当の息子と間違え、キシャンもまたマンガル・シンを実の父と間違えて仲間になったのです。そんな中、盗賊を追い詰めていたアミットが、その盗賊というのが兄であるキシャンであることを遂に知ってしまうのです。

■何だか変だよ悪党のアジト!?

とまあこんなお話なんですが、兄と弟、善と悪、という以外に「悪玉の息子が善良な警察官になる」という要素と「警官の息子が悪玉を本当の親と間違える」という善悪の逆転した「取り替えっ子」の変形パターンがあるんですね。ただしここまではまだ設定であり、ある意味普通といえば普通かもしれません。でもこの物語の本当の面白さは他の部分にあるんですよ。

この『Parvarish』、まず最初に「なんじゃこりゃ?」と思ったのは盗賊マンガル・シンのアジトです。登場時は単なる山賊だったんですが、その後業務規模を拡大したのか、なんだか『007』にでも出てきそうな悪の秘密基地を構えてるんですよ。で、この秘密基地がスゴイ。巨大なホールの一方の壁が赤いスクリーンになっていて、その背後でシルエットになった女性たちがいつもゴーゴーダンスを踊ってるんです。しかも音楽無しで。

なんかこうアンモラルな雰囲気を出したかったのかもしれないですが、悪い顔して「ぐふふ…」と黒い笑みを浮かべるギャングの後ろで踊り狂う女性たち…ってなんかもうとってもシュールなんです。それだけではなく、ホールの中央には底なし沼まである!さらにマンガル・シン、なんと潜水艦を持っている!持っているんだけど、どういう目的で持ってるのか全く分からない!そしてその中でわざわざ悪の企みを巡らす!きっと「潜水艦まで持ってるすっごいワルモノ」を演出したかったのでしょうが、全く無意味なのがおかしい!

■ズベ公ヒロインの登場!そして荒唐無稽な展開!

そしてこの物語、一応二人のヒロインが出てくるのですが、これがインド映画ヒロインによくあるような明るく快活なサリー美人とかそういうのでは全くなく、縦から見ても横から見てもまるでヤンキーあがりみたいな姉妹!おまけに次々に時計やら財布やらをかすめ取るプロ級のスリ・コンビ!なんかもう昔の東映の『ズベ公番長』とか日活の『野良猫ロック』みたいな女チンピラなんですよ。腕とかよく見たら根性焼きの跡とかがあるかもしれません。

こんなヒロインってインド映画じゃ珍しくありません?で、この二人が主人公二人と絡み、恋愛までしてしまうんです。最初は主人公らにフラれるんですが、ここで展開される歌と踊りがとんでもなくおかしい。「もう死んでやる!」とばかりに首つりや飛び降り自殺を図る女性二人を、寸での所で主人公たちが助けてあげる、という様子がミュージカルぽく描かれるんです。いやあ、断然変だなあ!楽しいなあ!

こんなですから、「善と悪に分かれた兄弟二人!」という設定なのに全くシリアスな方向に行かないんです。むしろ荒唐無稽といってもいい。ユーモラスさは多分にありつつオチャラケたコメディに走ることは無く、マサラ・ムービーらしい脱線も殆どせず、物語の要点を押さえながら骨太な演出で見せるべきところをガッチリ見せてゆく。あれもこれもと手を出さず演出が非常に明快なんですね。

だから観ているこっちも雑念を沸かすことなくグイグイ引っ張られて観てしまう。娯楽映画の見本みたいな良質さが籠ってるんですね。物語は終盤に向け、善悪に対立する兄弟同士の様子から、悪に染まった兄を気に掛ける弟と、弟の為に悪の道から足を洗おうとする兄、そしてマフィアに捕えられたヒロイン二人の奪還へと盛り上がってゆくんですよ。いやこれ、アミターブ作品の中では他の有名作よりも気にいったな。

引き裂かれたカップルの、その20年後/映画『Kabhie Kabhie』【アミターブ・バッチャン特集 その8】

■Kabhie Kabhie (監督:ヤシュ・チョープラー 1976年インド映画)


最初に愛しあう恋人同士が描かれる。男の名はアミット(アミターブ・バッチャン)、女の名はプージャ(ラーキー・グルザール)。続いて画面に登場するのは、悲しげな顔で何かを見つめるアミットの姿だ。彼の視線の先では結婚式が行われている。それは彼の恋人プージャと見知らぬ男ビジェイ(シャシ・カプール)との結婚式だった。

1976年にインドで公開された映画『Kabhie Kabhie』は、親の決めた結婚により引き裂かれたカップルの物語である。しかしインド・ロマンスではお馴染みのシチュエーションを持ちながら、この物語はさらにその未来を描く、という独特の構成を持っている。出演者は他にリシ・カプール、ワヒーダ・ラフマーン、ニートゥ・シン、ナシーム、シミ・ガーレワール。監督はロマンス映画の大家ヤシュ・チョープラー。

この物語の独特さは、”引き裂かれたカップル”の、その20年後を描くという部分にある。20年の間にアミットも結婚し、子供をもうけている。プージャとビジェイの間にも子供がいる。生活は落ち着いており、彼らは皆相応に年老い、髪にも白いものが混じった容貌で登場する。アミットとプージャの中で”引き裂かれた”ことによる懊悩は、決して消え去るものではないにせよ、20年という歳月は、それを「遥か過去の思い出」として風化させているのだ。要するにこの物語、かつて”引き裂かれたカップル”の、「焼けぼっくいに火が付いた」話では全く無いのだ。

そして登場するのは若者たちの姿だ。それはプージャの息子ヴィッキー(リシ・カプール)、彼の恋人ピンキー(ニートゥ・シン)、ヴィジェイ家の娘スウィーティー(ナシーム)だ。彼らの三角関係がこの物語のもう一つの軸となるが、”引き裂かれたカップル”の子供たちが同士がまたしても恋に落ちる、という設定が面白い。また、ピンキーは出生の秘密を抱えており、実はそれがヴィジェイ家に関わるもので、物語にじわじわと波紋を投げかけることになる。さらにアミットとプージャは20年ぶりの再会を遂げるが、彼らにとって愛は"昔の話"なのにもかかわらず、プージャの夫ビジェイはあらぬ嫉妬に身悶えることになる。

これらストーリーだけを掻い摘めばよくあるメロドラマということになるが、しかしこの作品は凡庸さに堕することなく美しいドラマとして結実している。それは作品のテーマとなるものが「過去にこだわらず未来に目を向けて生きて行こう」という部分にあるからだ。登場人物たちはそれぞれが直面する「過去の事情」に、最初戸惑いや苦しみ、そして怒りを覚える。だが誰もがそういった葛藤を軽やかに乗り越え、よりよい今を選択し、未来に繋げようとする。素晴らしいほどに前向きなのだ。そしてそういった前向きさが感銘を生むのだ。

同時に、やはり監督であるヤシュ・チョープラーの映画的な話法、見せ方がとてもいい。以前観たチョープラー作品でも端正で清々しささえ感じる映像を見せられたが、この作品の空気感にも同様なものを感じた。それと伝統的なインドにこだわらない、どこかヨーロッパ的とすら思える情景描写だろうか。チョープラー作品はそれほど観ていないのでこの作品が彼の作品史のどの部分に位置するものなのかは分からないが、中盤の若者風俗の古臭ささえ気にしなければきちんと作られた良作なのではないか。

禁じられた不倫のゆくえ/映画『Silsila』【アミターブ・バッチャン特集 その7】

■Silsila (監督:ヤシュ・チョープラー 1981年インド映画)


死んだ兄の許嫁に同情し、恋人と別れてその許嫁と結婚した男アミットが、別れた恋人への未練が絶ちきれず、既に結婚してしまった元恋人と不倫に走ってしまう、というアミターブ・バッチャン主演のメロドラマです。

ヒロインの配役が凄くて、まずアミットが結婚した女性・ショーバーにアミターブ・バッチャンの実際の嫁ジャヤ・バッチャンを、そして不倫をしてしまう元恋人・チャンドニーを、アミターブが当時実際に不倫していたという噂のレーカーがやってるんですね。なんかもー自分のスキャンダルをそのまま映画にしちゃいました〜というとっても生臭い配役なんですよ。

ただまあそういった作品内容以外のことは忘れてきちんと観てみると、これが意外とよく出来た作品なんです。死んだ兄の言った「自分の許嫁の面倒を見てやってくれ」といった言葉を恋人と別れてまで実行した主人公は非常に肉親想いで義理堅い男だということができるし、にも関わらずやっぱり元恋人に後ろ髪引かれるというのも、いいか悪いかは別としてとても人間臭い感情だと思います。まあ結局主人公の優柔不断さが全部悪いんだけどな!

そして悪いことはできないもの、二人の嘘は次第にほころんでゆき、周囲の人たちは段々とこの二人なんかおかしい、と気づいてゆくんですよ。この、秘密が徐々にバレてゆく、という描写が、完全犯罪が徐々に破綻してゆく様を描いた犯罪ドラマみたいで妙にスリリングなんですよ!こういう観方をする映画じゃないとは思うんですが!

そしてこの映画の見所はもう一つ、こういった俗っぽいメロドラマを、格調高く端正な描写で美しい物語に仕立て上げたヤシュ・チョープラー監督のただならぬ力量でしょう。映像も実に美しく、時々ヨーロッパ映画を観ているような錯覚さえ起こしてしまうぐらいです。ヤシュ・チョープラー監督作品は『Jab Tak Hai Jaan』(2012)や『Veer-Zaara』(2004)他数作しか観たことがありませんが、1981年作のこの作品の高いクオリティを見るにつけ、なぜ巨匠と呼ばれるのか分かるようになってきました。

それにしても主人公と不倫相手の元恋人、自分の嫁や旦那の目の前でキャッキャウフフ踊ってんじゃねーよ!なんでそう脇が甘いんだよ!だからバレるんだよ!

悪党への復讐に燃える元警官!/映画『Zanjeer』【アミターブ・バッチャン特集 その6】

■Zanjeer (監督:プラカーシュ・メーラ 1973年インド映画)


悪党に濡れ衣の罪を着せられ退職に追い込まれた元警官が復讐に打って出る、というアミターブ・バッチャン主演のアクション映画です。「怒れる若者」アミターブ・バッチャンの名を世に知らしめた出世作が本作なのらしいんですね。ヒロインは当時アミターブと挙式間近だったジャヤー・バードゥリー(現ジャヤー・バッチャン)。

主人公の名はヴィジェイ(アミターブ)、正義を愛する熱血警官の彼はある組織犯罪を追っていましたが、その目撃者であるナイフ研ぎの少女マーラ(ジャヤー)を自分の家に匿うことになり、二人には次第に愛が芽生えてゆきます。その後ヴィジェイは悪党の陰謀によって収賄の濡れ衣を着せられ刑務所に入れられますが、そんな彼を助けたのが親友のシャー・カーン(プラン)でした。出所したヴィジェイはシャーと共に悪党を追い詰めます。

2時間半程度の上映時間なんですが、ストレートな構成とテンポの良さで、あっという間に観終わった感じですね。あれもこれもと盛り込まず、要所要所に見せ場を作ってある部分が功を奏したのでしょう。冒頭、幼い頃の主人公の悲劇的な体験から始まり、警官となって賭博場の親分と争い、その親分と親友になる主人公、そしてヒロイン登場で歌と踊り…といった感じで、いい具合に物語に引き込んでゆくんですね。

主人公ヴィジェイのキャラクターは、正義一徹で四角四面、という実に分かり易いものであることも物語にすんなり入っていける要因かもしれません。一方ヒロインは自分の力で生活費を稼ぐ男勝りの逞しさを持ちながら、少女の可憐さも持った女性です。

そして出色なのが主人公の親友シャー・カーン。彼はパサン族〔パキスタン西北部とアフガニスタンとの国境地帯の部族)という設定なのですが、赤毛の髪と髭を生やし、インド映画でもあまり見慣れない服装をしていて、奇妙に怪しいキャラなんですね。彼の独特のキャラクターが物珍しく、映画に異色な風合いを持ち込んでいました。

さらにこの物語、裏テーマにヴィジェイが子供の頃殺された両親の復讐というのが盛り込まれており、それがクライマックスで物語を大いに盛り上げてゆくのですよ。当時大ヒットしただけあってなかなかに技ありの作品でしたね。

病魔に冒された患者と医者との友情/映画『Anand』【アミターブ・バッチャン特集 その5】

■Anand (監督:リシケーシュ・ムカルジー 1971年インド映画)


病魔に冒された患者と一人の医者との友情を描いた1971年公開のインド映画です。主演は当時絶大な人気を誇っていた男優ラージェーシュ・カンナーとデビュー間もない頃のアミターブ・バッチャン

物語の語り部となるのは癌の専門医バースカル(アミターブ)。彼はある日アナン(ラージェーシュ)という末期癌患者と出会いますが、彼は自分の病を知っているにもかかわらず、驚くほど陽気で快活な男でした。人々はそんな彼に魅了されてゆきますが、否応なしに死の時は迫ってきて…というもの。

インド映画の難病モノというとシャー・ルク・カーン主演の『たとえ明日が来なくても(Kal Ho Naa Ho)』(2003)を思い浮かべますが、己の死期を悟りつつ精一杯明るく生きようと努力する主人公の姿を描いている点で共通しています。というよりもこの作品の主人公アナン、明るく元気というよりは、いつも落ち着きが無くやかましいほどにペラペラとまくし立て、本当にこの人病気なの?と思えてしまう程です。だからこそ周囲が彼の病気を知った時の驚きと哀しみも一層深いものになってゆくんですね。

難病モノ映画におけるこういった「快活な難病患者」は昨今では割とよくある手法なんですが、当時は十分心をえぐるものだったのかもしれません。それよりも死期を悟っている主人公が度々劇中において語るその死生観にどこかインド的なものを感じました。また、そんな主人公の為に周囲の人たちがヒンドゥーイスラム、キリストと、それぞれの神に祈る場面などもインド映画独特でしたね。

とはいえ主人公の死期が近付き、病の床に臥せるようになるとどうしても悲劇性を強調することになってしまい、個人的にはそういった部分で通俗的に思えてしまったのが残念。ラージェーシュ・カンナーの陰影に富んだ演技がリードしてゆく作品でしたが、アミターブもまた実に医者らしく思わせる落ち着いた演技で抜群でした。

極悪犯罪組織と戦う正義の兄弟の物語はインド映画版007だったッ!?/映画『Shaan』【アミターブ・バッチャン特集 その4】

■Shaan (監督:ラメーシュ・シッピー 1980年インド映画)


極悪な犯罪組織と戦う正義の兄弟!という1980年公開のアクション映画です。主演はスニール・ダット、アミターブ・バッチャン、シャシ・カプール、シャトゥルガン・シンハー。そして監督はあの『Sholay』(1975)のラメーシュ・シッピー。『Sholay』は西部劇へのオマージュでしたが、この作品はなんと「007」に触発されたフィルムなのだとか。しかし確かにオープニングこそ「007」ぽいのですが、決してスパイ・アクションという訳ではありません。

物語の主人公はボンベイに住むシヴ(スニール)とビジェイ(アミターブ)とラヴィ(シャシ)のクマール兄弟。シヴは熱血警官でしたが、ビジェイとラヴィは詐欺師までやっちゃうボンクラコンビでした。しかしシヴが謎の犯罪組織に命を狙われるようになってから彼らの生活は一変します。犯罪組織の首領シャカール(クルブーシャン・カルバンダ)はサディスティックな冷血漢であり、遂にシブは殺害されます。怒り心頭に達したビジェイとラヴィは復讐に燃え、ボンベイ沖合の孤島にあるシャカールの秘密基地へと潜入するのです。

この作品で見所となるのは非常に緊迫感に満ちたアクションの演出でしょう。インドの古めなアクション映画を観ると結構がっかりさせられることが多いのですが、この作品では巧いなあ、と同時に欧米作品をよく研究しているなあ、と感心させられました(当時のインド映画にしては、ということですが)。まず、アクションに限らず、この作品ではどんな場面でも描写が細かいんですね。その細かさが執拗さにも繋がって、緊張感を途切れさせないんです。この執拗さ・しつこさは確かに『Sholay』の演出と非常に共通するものを感じました。前半こそアミターブとシャシのユルい詐欺シーンや恋愛シーンが入って、この辺は当時のマサラ映画だからしゃーねーなーと思いながら観ることになるのですが、物語が進むにつれ一人また一人と死んでゆく兄弟や仲間たちの描写に段々と固唾を呑むことになります。追い詰め方が情け容赦ないんですよ。意外にグロなシーンもきちんと描いており、この辺の思い切りのよさも監督の力量だという気がします。

それと同時に、敵となる犯罪組織の首領シャカールの異常さと風貌も見所です。そのサディスティックな性格はそのまんま『Sholay』における山賊の首領ガッバル・シンなんですよ。その風貌はなんと「007」に出てくるスペクターの首領プロフェルドそのもの。ツルッパゲッでマオカラーのスーツを着てるんです。そして窓の外が海底になった秘密基地で部下を円卓に着かせ犯罪計画を練ってるんですね。任務に失敗した部下が椅子ごと恐ろしい生き物の待つ水底に落される、というのも007ぽい。しか窓の外の海底にはサメがうようよ泳いでいるのに、椅子が落とされた先にはワニが待っている、というのがなんだかよくワカラナイ(しかもこのワニ、「がおーっ」と鳴きます)。どちらにしろこの秘密基地の円卓にはいろんなガジェットが付けられ、結構力が入ってるんですね。クライマックスは仕掛けだらけのこの秘密基地でラメーシュ監督らしいひたすらしつこい演出のアクションが展開し盛り上がってゆきます。