インド映画を巡る冒険(仮)

以前メインのブログに書いたインド映画記事のアーカイヴです。当時書いたまま直さず転載しておりますので、誤記等ありましてもご容赦ください。

没落貴族の憂愁〜映画『Sahib Bibi Aur Ghulam(旦那様と奥様と召使い)』

■Sahib Bibi Aur Ghulam(旦那様と奥様と召使い)(監督:アブラール・アルヴィー 1962年インド映画)


廃墟となった屋敷の解体作業を監督する男。男にかつて栄華を誇っていたこの貴族の屋敷に召使いとして従事していた。貴族はなぜ没落したのか。

インド映画黄金期の巨匠監督の一人、グル・ダットは最後の監督作『Kaagaz Ke Phool(紙の花)』(1952)の失敗をきっかけに監督業から遠のき、その後数作の映画作品に俳優として携わった後1964年に39歳の若さで命を絶つ。1962年に公開されたこのモノクロ作品『Sahib Bibi Aur Ghulam』は晩年のグル・ダット主演作のひとつであり、監督としてアブラール・アルヴィーの名が挙がっているが、研究家によると実質グル・ダットが監督した作品なのだという。

物語は19世紀末、イギリス統治下のカルカッタが舞台となる。この地に佇む豪奢な封建地主の屋敷に、ブートナート(グル・ダット)と呼ばれる男が使用人としてやってくる。彼の目に貴族の生活は眩しく映ったが、実は主人は毎夜踊り子の館に出掛け放蕩三昧であり、その妻チョッティ(ミーナ・クマリ)は孤独に身を苛まれていた。ブートナートはそんなチョッティのよき話し相手となったが、夫の気を引くため酒に手を出したチョッティは、次第に酒に溺れてゆくようになるのだ。

この作品は一人の男の目を通して描かれたインド近代末期における貴族階級の退廃と彼らの時代の終りを描いた作品であり、いわゆる"滅びの美学"とも呼べるような腐臭漂う美と陰鬱さとが漂う物語である。ビスコンティの『山猫』、ルノワールの『大いなる幻影』とも比する作品、ということらしいが、残念ながらオレはこの両作を観ていないので何とも言えない。ただし作品全体を覆う破滅と喪失感は実にグル・ダットらしい。

こういった"貴族社会の終焉"を看取る目として登場した主人公ブートナートは、身分は低いものの勉学により身を立て貧しさを乗り越えていった男であり、黎明期の現代インドが期待する新たなインド人の象徴ということになるのだろう。没落貴族夫婦が悲劇の渦に飲み込まれてゆく一方、ブートナートはワヒーダ・レーマン演じる娘ジャバとロマンスを育んでゆくのだからどうにも対照的である。

それにしてもグル・ダット作品に何作か触れてきたが、どの作品もあたかも彼自身のナルシスティックな破滅願望を体現したかのような鬱蒼とした暗さがまとわりついており、インド映画巨匠と呼ばれるのは知ってはいても、どうもあまり好きになれないし持ち上げたくないのも確かである。なんかスカッとしない奴なんだよなあグルちゃんってば。