インド映画を巡る冒険(仮)

以前メインのブログに書いたインド映画記事のアーカイヴです。当時書いたまま直さず転載しておりますので、誤記等ありましてもご容赦ください。

ハンディキャップとセクシャル・マイノリティ〜映画『マルガリータで乾杯を!』

マルガリータで乾杯を! (監督:ショナリ・ボース 2014年インド映画)


この『マルガリータで乾杯を!』は、2015年に日本でも劇場公開されたインド映画なのではあるが、個人的に難病/障害者映画と主演女優のカルキ・ケクランが得意じゃ無かったので観に行ってなかった作品である。しかし先ごろソフト化されたのでレンタルで観てみることにした。

物語は(おそらく脳性麻痺による)障害を持ち、会話や動作が不自由で、車椅子生活を送る大学生のライラ(カルキ・ケクラン)が主人公となる。こんな彼女が普通に恋をしたりセックスしたり、未来を夢見てNYに留学したり、そこで出会った目の不自由な女性ハヌム(サヤーニー・グプター)との同性愛に目覚めてセックスしたり、インドに帰国したら母親が重病だったりするというものである。

障害者であることとバイセクシャルであること、すなわちハンディキャップとセクシャル・マイノリティの二つのテーマを持った作品であるが、同時に障害者のセックス、というテーマも盛り込まれることになる。これはややもすれば重く悲痛になりがちな題材であり、描き方を間違えるとあざといものになってしまう題材でもある。にもかかわらずこの作品では、これらテーマを"ごく当たり前"のこととして軽やかに描き出す。

ハンディキャップを持つ者やセクシャル・マイノリティである者が現実社会において過酷な労苦や痛ましい偏見にさらされることは残念ながらあるだろう。しかしこの作品ではこれら労苦や偏見をあえてクローズアップせず、彼らを強いて「特殊」な存在として描かない所がユニークであると言えるかもしれない。ハンディキャップであるなら社会が十分にそれに手を差し伸べ、セクシャル・マイノリティにしてもそれもありふれたひとつの愛の形として、それらが決して奇異でもなんでもなく、「特殊なこととして描かない」のがこの作品なのだ。

確かに、主人公はハンディキャップを持つことで恋をする不自由さを感じたり、また、同性愛であることを母親に受け入れてもらえなかったりといった困難は描かれる。しかしこの作品の持つ軽やかさは、そういった困難すら「特殊であること」が原因としてではなく、誰もが普通に恋に悩んだり人生につまづいたりするかのように描き出す。人は例えば貧富の差や人種や宗教の違いでこれらにつまづくことがある。しかしこれらの要因は「人」であるうえで特殊なことではない。それと同じようにハンディキャップとセクシャル・マイノリティを「人」であるうえで特殊なこととして描かないのがこの作品の独特さと言える。

逆に言うなら、この「特殊ではない」こと、「ごく当たり前」であること、それらによってドラマそれ自体が平凡に流れていってしまい、ありふれた「恋とセックスと家族の悩み」以上の作品になっていないところが惜しい。「特殊なこととして描かない」部分にこの作品の主眼があったばかりに、ドラマという「特殊なこと」が存在しないのだ。これは「特殊なこととして描かない」ことそれ自体に価値を見出すべき作品であるといえるかもしれない。

マルガリータで乾杯を! [DVD]

マルガリータで乾杯を! [DVD]

  • 発売日: 2016/05/25
  • メディア: DVD