インド映画を巡る冒険(仮)

以前メインのブログに書いたインド映画記事のアーカイヴです。当時書いたまま直さず転載しておりますので、誤記等ありましてもご容赦ください。

アーミル・カーン主演、『ミルカ』のラケーシュ監督による政治的ドラマ〜映画『Rang De Basanti』

■Rang De Basanti (監督:ラケーシュ・オームプラカーシュ・メーラ 2006年インド映画)


先頃日本でも公開され好評を博した傑作インド映画『ミルカ』のラケーシュ・オームプラカーシュ・メーラ監督による2006年公開の映画がこの『Rang De Basanti』です。ラケーシュ監督作品は他にも2009年にインドで公開された『Delhi 6』が個人的に大いに気に入っており、もっとこの監督の作品を観てみたいと思ったんですよ。もうひとつ興味を惹いたのは、『きっと、うまくいく』の主演だった3馬鹿トリオ、アーミル・カーン、R・マーダヴァン、シャルマン・ジョーシーがここでも共演している、ということなんですね。しかしこの作品は『きっと、うまくいく』同様に大学生たちが中心となるドラマではありますが、『きっと、うまくいく』とは180度異なる相当にシリアスな物語でした。

物語はイギリス人女性スー(アリス・パッテン)が自主制作映画を撮るためインドの首都デリーを訪れるところから始まります。スーはまだイギリス植民地であった20世紀初頭のインドで、故国開放の為に立ち上がった実在のインド革命家たちの映画を撮ろうとしていたのです。友人である大学生ソニア(ソーハー・アリー・カーン)の協力により、大学卒業生DJ(アーミル・カーン)を始めとする配役が決まりましたが、彼らは彼らが演じるインド革命家たちとは裏腹な、お気楽で享楽的な大学生ばかりでした。しかし撮影が進行するにつれ、彼らはインド革命家たちが何を思い何のため行動を起こしたのかに共感するようになります。そんなある日、軍用機購入収賄疑惑に絡むある悲劇が彼らを襲います。自らの住む国のあり方に怒りと疑問をおぼえた彼らは、それをある行動によって爆発させてしまうのです。

おおっとこれは相当に歯応えの強いある意味難物ともいえる作品でした。というのは、この物語がインド革命家たちの辿った運命に添った形をとりながら、近代インドの暗部ともいえる歴史とその事件を掘り起こしているからであり、こういったインド史に暗い自分のような日本人からすると、「こういうことがあったんだ…」ということを知ることはできたとしても、これらの事件の背景にある政治状況への、インド自国人の衝撃や憤りといった生々しい感情を、安易に共感という言葉でひとくくりにできない、といったもどかしさがあったからなんですね。そういった意味ではある程度のインド史・インド政治への理解がないと難解な部分のある作品ではあると思いました。その強い政治的メッセージからこの作品はインドで大きな関心を持たれ物議を醸しながらも大ヒットしたそうですが、インド理解に乏しい自分がここで書く感想はあくまで表層的な部分に止めることにします。

この物語は、史実ではあるが「映画」という「仮想」を演じる者たちが、その「仮想」に取り込まれる、感化されてしまう、といった部分がポイントになっています。しかし単に演じただけで感化されたのではなく、「ある事件」による心理的バイアスが引き金となった「憑依現象」とも言え、社会心理学的な側面を見出すこともできるかもしれません。そういった部分で牽引したならまた別の面白さがあったかもしれませんが、しかし物語はあくまでも政治的主観的な流れに沿って描かれることになります。それにより、若者たちの行動が、単に直情による短絡にしか受け取れなく思えてしまうのです。本当に彼らにはその道しかなかったのか?他に手段がある筈だったのではないか?と思うと、この物語が着想段階での構成のみが先行したどこか不自然なものを感じてしまうんですよ。ですから、若者たちの起こした行為という「原因」から導き出されるクライマックスの「結果」は、それは悲劇的なものではあるにせよ、なるべくしてなったもの、と客観的には思えてしまうんです。

また、インターバルまでの前半部分では学生たちのお気楽振りと無関心振りが描かれますが、これは後半の政治性との対比として用意されただけのようにしか見えず、それぞれのキャラクターにそれほど魅力や共感を感じないんです。アーミル・カーン演じるDJは自らのボヘミアな生活に悩んで見せたりもしますが、それが物語と絡み合っているわけでもないんです。主要キャラであるムスリムの青年と右翼青年の対立がいつしか和解へと繋がる部分はドラマチックではあっても、やはり作り物めいているんですよね。しかし、個人的に最も理解しやすかったのはこの右翼青年でした。彼は西洋文明流入を拒否する国粋主義者であり、であるからこそインド独立の志士である革命家たちを演じることを同意します。しかし最終的に彼は愛して止まない国家に裏切られ大いなる挫折を体験するのです。そして彼は国家を愛するがゆえにその国家と対立します。この自己矛盾の苦悩こそに自分は注視しました。この物語の主人公は本当は彼だったのではないかとすら思います。