インド映画を巡る冒険(仮)

以前メインのブログに書いたインド映画記事のアーカイヴです。当時書いたまま直さず転載しておりますので、誤記等ありましてもご容赦ください。

巨悪vs.スラム街のヒーロー/スーパースター・ラジニカーント主演映画『Kaala(カーラー)』

■Kaala(カーラー)(監督 : パ・ランジット 2018年インド(タミル)映画)

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スーパースター、ラジニカーントの新作映画!と聞いたらこりゃあ観に行かない訳にはいきません。タイトルは『Kaala(カーラー)』、これは主人公の名前であると同時にインドの死の神ヤマのことも指しています。監督はパ・ランジット、彼はラジニの前作『帝王カバーリ』(2016)の監督を務めた人でもあるんですね。

物語の舞台となるのはムンバイにあるスラム街ダラヴィ。ある日ここに都市開発の波が押し寄せ住人の強制退去が勧告されます。裏で手を引くのは元ギャングのハリ・ダッタ連合大臣(往年のインド映画名バイプレーヤー、ナーナー・パーテカルが演じます!)、開発の巨大な利権を我がものとし、甘い汁を吸うとしていたのです。しかーし!ダラヴィのリーダーであり住民たちのカリスマでもある男カーリー(ラジニカーント)が立ち上がり、ハリ・ダッタの陰謀を叩き潰そうと戦うのです!

舞台となる街ダラヴィはインドに実在する人口30万人とも言われる世界最大のスラム街で、映画『スラムドッグ$ミリオネア』(2008)の舞台ともなりました。1920年代には大量のタミル人移住者が流入し、映画ではこのタミル人居留区が中心となって描かれます。ムンバイが舞台なのにタミル映画なのはそんな理由からです。ダラヴィの実情はWikipedia(英語版)で読むことができますが、ガイド付きツアーが行われており、↓のリンクでは日本人ブロガー氏による貴重な体験記事を読むこともできます。

映画ではこのスラムで暮らす人々の貧しいながらも気の置けない家族や仲間たちとの毎日が時にコミカルに、そして情感豊かに描かれてゆきます。しかしそんな彼らの生活は都市開発の名のもとに暴力的に粉砕されようとしています。窮状の中にある彼らが助けを求めたのはスラム街のリーダーであり精神的支柱である男・カーラーだったのです。カーラーは強烈な意志と鷹揚とした物腰を持つカリスマ的な男です。そしてひとたび乱闘ともなると恐るべき身のこなしで相手をやり込め、快刀乱麻に事を収めるのです。

そんなカリスマ・ヒーローをインド映画のカリスマ・スーパースター、ラジニカーントが演じます。インドの死の神の意味もある名前カーラーだけに、映画においてラジニは死の神の如く常に黒い衣装をまとっています。これがまたいぶし銀の光をまとっているかのようにカッコいいんですね。今作におけるラジニの役どころは困窮した住民たちを救済するヒーローですが、そもそもラジニ映画の多くは巨悪の成す暴力により打ちひしがれた貧しい人々を救う、というテーマによって製作されているのではないかと思います。

スラム街撤去にまつわる住民対政府組織の対立という構図からは、マニ・ラトラム監督による「インド版ゴッドファーザー」とも呼ばれるテルグ語作品『Nayakan』(1987)を思い出しました。あの作品もムンバイにある南インド人スラム街において横暴を極める警官たちを成敗するため住民たちの顔役とも言えるカリスマ的主人公が立ち上がるのです。また、腐敗した政治家と身を挺して戦う正義のヒーローという構図においては、『ロボット』(2010)でも有名なシャンカール監督の『Nayak: The Real Hero』(2001)を思い出した作品でした。

「巨悪と戦うカリスマ・ヒーロー」というラジニカーント十八番の物語展開であるゆえに、逆に物語それ自体には新鮮味はありません。また、主人公が無敵のカリスマ過ぎて物語に緊張感をもたらしにくいという難があります。カーラーが敵の姦計により過酷な状況に追い込まれるのは後半からで、ここでようやく物語にドライブが掛かってきますが、これなどももう少し早い段階に演出があってもよかったかなと思えます。しかし、ラジニ作品によく見られるド派手な演出や巨大セット、見栄えのいいCG映像などを一切排し、そういった演出に頼らない等身大のヒーロー像を描こうとした部分にこの作品の特色があるかもしれません。

また、ムンバイにおける「南インド人による南インド人の平和」を描こうとした今作は、ラジニ&パ・ランジット監督による前作『帝王カバーリ』の、マレーシア移民テルグ人の「南インド人による南インド人の平和」を描こうとした物語と重なります。これらは南インド人たちの苦闘の歴史を掘り起こし、それを記憶に留め、さらに救済をもたらそうという一貫したテーマを感じさせ、さらに我々日本人には馴染の薄いインドの歴史の一端を垣間見せるという点で非常に興味を覚えさせてくれました。

とはいえラジ二もいい歳なんであんまり体が動かず(現在67歳なのだそうな)、踊りのシーンでは手足を軽くパタパタさせているだけなのをダンサー全員がシンクロさせることでなんとか見栄えよく見せられていた位だし、アクションシーンなんかはラジ二がやっぱり手足パタパタ振り回してたら敵が勝手に血反吐吐いて「ひでぶ!」とか「あべし!」とか言いながら宙をクルクル舞っている、という往時のジャイアント馬場さん状態なのはご愛嬌です!ま、無理なさらないでこれからも民衆のヒーロー、スーパースターとして銀幕で輝いていてもらいたいですな。


Kaala (Tamil) - Official Teaser | Rajinikanth | Pa Ranjith | Dhanush | Santhosh Narayanan

 

イルファン・カーン主演による中年シングルカップルのロードムービー/映画『Qarib Qarib Singlle』

■Qarib Qarib Singlle (監督:タヌージャ・チャンドラ 2017年インド映画)

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2017年に公開されたインド映画『Qarib Qarib Singlle』は少々風変わりとも言える大人の恋を描くユニークなロマンチック・コメディだ。主演はイルファン・カーン、ヒンディー語映画初主演となる南インド女優パヴァシー。監督は『Dushman』(1998)、『Sangharsh』(1999)のタヌージャ・チャンドラ。

《物語》保険会社で辣腕を振るうジャヤ(パヴァシー)は私生活では35歳になる一人暮らしの未亡人だった。そんな生活に孤独感を覚えた彼女はある日出会い系サイトに登録し一人の男と会うことになる。待ち合わせのカフェにやってきたその男ヨギ(イルファン・カーン)は破天荒で掴み所のない性格をしており、最初苦手に感じていたジャヤだったが、ヨギのペースに乗せられるまま一緒に旅行に出掛けることになってしまう。しかもその旅行は、ヨギのかつてのガールフレンド3人の元を訪れる、というものだった。

この物語の風変わりさはなにしろこの発端にある。男と女が出会い系サイトで知り合うのはままあることだろう。しかし物語の主人公ジャヤはヨギがどんな男なのかよく知らないまま一緒に旅行に出掛けることを決めてしまう。しかもその旅行とはヨギの元カノを訪ね歩くというものだ。さらにその理由が「彼女らが自分と別れて悲しんでいないか確認したいから」だと言うではないか。まあ少なくとも、日本人の一般的な感覚だと旅行することも旅行の目的も、相当「ありえない」ことなのではないか。

しかしこの「ありえなさ」が物語を面白くしている。ボリウッド映画はなにしろロマンス作品が強いが、多作なばかりに物語のバリエーションが乏しくなりつつある。新奇で多彩な恋の在り方を描いたとしても、今度は共感するのが難しい物語であったりする。例えばカラン・ジョーハル監督の『心~君がくれた歌~(Ae Dil Hai Mushkil)』(2016)などは新しい恋の形を描きつつ、どこか居心地の悪い白々しさを覚えなかったか。そんな中、この『Qarib Qarib Singlle』は発端こそ奇異だが、その後の展開に十分感情移入可能な物語を持ってきている。それは最初に型にはまった常識や前提を飛び越えることで、その後のドラマにより瑞々しい感触を与えることができているからだ。

旅行に出掛けた二人だが最初から恋愛感情があるわけでもなく、ただ成り行きで二人で行動しているだけだ。成り行きで旅に出ることになった恋愛関係にない男女が次第に心を通わせて行く、というボリウッド作にSRK主演映画『私たちの予感(Jab Harry Met Sejal)』(2017)があるが、この『Qarib Qarib Singlle』はそういった定番の展開を微妙に回避する。まず破天荒な性格のヨギはその破天荒さが祟り旅先で常にドタバタを繰り返す(この辺りのコメディ・センスは実に秀逸)。そしてジャヤはそれに振り回されっぱなしで半ばうんざりしている。とはいえジャヤがそんなヨギを見限らないのは、「この人、なんなんだろう?」となぜだか興味が尽きないからなのだ。それは異性であるという以前に、他者としての興味を抱いているということだ。それだけヨギという男は、呆れさせられると同時に強い関心を抱かせるキャラクターとして登場するのだ。

これは多分に女性視点からの恋愛感情の芽生えを描いたものなのかもしれない。男性視点からのロマンス作品であると、相手をどう振り向かせるか、どのように誠実に振る舞うか、またはどのようにボロを出さないか、が中心となるのだろうが、この作品では主人公女性が相手の強力な男性性に魅惑を覚えるというよりも、その人間性にまず重点を置こうとする。信頼のできる存在であるかどうかを見極めようとする。こういった流れにあるロマンス作品であるという部分が新鮮だ。ある意味二人は、知り合ったから旅に出るのではなく、知り合うために旅に出た、ということなのだ。

そしてこの破天荒で興味の尽きない男ヨギを、イルファン・カーンが抜群の演技力で演じ切る。味わいが深いとはいえ決して二枚目という訳ではない、おまけに結構いいオッサンのイルファン・カーンだが、奇妙な男ヨギのキャラクターは非常に個性的で不思議な魅力に溢れている。ある意味イルファン・カーンだからこそこのような微妙なキャラクターを嫌味なく演じることが出来たとも言えるだろう。そしてこの男ヨギは、その生業や生活が殆ど描かれないといった点で観客にとってもどこか謎めいた男だ。一方、ヒロインを演じるパヴァシーは、中年に差し掛かった女性の夢と願望、迷いと孤独を生活感たっぷりに演じ、これも十分に魅了された。特に中盤、睡眠薬で酔っぱらった(?)ジャヤが、遂に己の思いの丈をぶちまけるシーンなどは圧巻だった。

それともうひとつ、この作品の魅力はロードムービーとしての楽しさだろう。主人公二人の旅はまずムンバイから始まり、ウッタラーカンド州デヘラードゥーン、同じくルールキー、ラジャスタン州ジャイプル、シッキム州ガントクへと続いてゆく。実は自分にとって殆どが初めて見聞きするインドの都市ではあるが、しかし映画の中に登場するこれらの都市はどれも美しく豊かな風景を提供し、主人公二人の旅情を鮮やかに盛り上げるのだ。もちろん、観客である我々も、これらの街への旅を疑似体験しながら、緩やかに育まれてゆく主人公二人の恋に思いを馳せることができるのである。そういった部分で映画『Qarib Qarib Singlle』は決して時間を無駄にした気分にさせることの無い優れた良作と言っていいだろう。


Qarib Qarib Singlle | Official Trailer | Irrfan Khan | Parvathy | In Cinemas 10 November 

私はラジオ・ジョッキー / 映画『Tumhari Sulu』

■Tumhari Sulu (監督:スレーシュ・トリヴェニ 2017年インド映画)

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ムンバイに住む平凡な主婦があることをきっかけにセクシーヴォイスなラジオ・ジョッキー(以下:RJ)になっちゃう!?けれどもそれがきっかけに思わぬ波乱が巻き起こり……というヴィディヤー・バーラン主演のコメディ作品です。実はオレ彼女が大好きで、この作品も楽しみにしていました(ところで『Kahaani 2』はいったいいつになったらソフト化されるの?)。監督は今作が長編初となるスレーシュ・トリヴェニ 。ちなみに「ラジオ・ジョッキー」というのはラジオ・パーソナリティーのインド/パキスタンでの呼び方みたいですね。

《物語》ムンバイに住むスル(ヴィディヤー・バーラン)は夫と11歳の息子と暮らすごく平凡な主婦。社会に出たいと夢見つつなかなか思うようにはいきません。そんなある日彼女はラジオ番組の商品が当選したことがきっかけとなり、RJのオーディションに挑戦します。キャラクターが買われ晴れてRJとなったスルですが、勧められてセクシーヴォイスを披露してみるとなんとこれが大人気、あれよあれよという間に売れっ子RJになってしまいます。けれども彼女の親戚連中ははしたないと猛反発、息子は学校で馬鹿にされ、夫まで困惑した表情。さらに夫の仕事がうまくいっておらず転職の危機。さてさてスルと彼女の一家の運命やいかに!?

女性の社会進出や自己実現を描くインド映画は、古くはサタジット・レイ監督の『ビッグ・シティ』(1963)、同監督の『チャルターラ』(1964)あたりが記憶にあります。これはある意味、インド映画が数十年前から女性の社会的立場に意識的だったという事なんですね。とはいえこれはあくまで映画の話で、現実にはそれがなかなか困難だったからこそ映画という夢に託したのだということもできるでしょう。どちらにしろインド映画はそういった先鋭さがあります。先ごろ惜しくも亡くなられたシュリデヴィの『マダム・イン・ニューヨーク』(2012)もやはり女性の自己実現の物語でしたね。

映画『Tumhari Sulu』も女性の社会進出と自己実現の物語だという事が出来ます。主人公のスルは平凡な主婦とは言え、映画冒頭からいろんな事にいっちょかみしたがる癖があることが描かれ、これは常に「自分の社会的立場を変えてみたい」という意欲が満ちていたことの表れだったのでしょう。だからRJの仕事に就けたのも、それは「たまたま」なんかではなく、彼女のそんな意志の力がやっと実を結んだと言えるんです。

彼女はラジオでセクシーヴォイスを披露し人気を博しますが、それも彼女の表現力や想像力の豊かさ、さらに機転の利く会話術があったればこそです。やはりこれも「たまたま」なんかではなく、常にいろんなことにチャレンジしてゆきたい、という彼女の行動力の賜物だったのでしょう。スルはいつも「変えてゆきたい」と願って行動していた。夢は、見ているだけではダメで、行動が伴わなければならないんだ、というメッセージも作品にはありそうです。

そしてそれがやっと結果となった。その喜びはひとしおだったでしょう。映画ではRJとして成功し夢の叶ったスルの幸せに満ちた姿が描かれ、観ているこちらもなんだか幸福感に包まれてしまいます。映画ポスターにあるヴィディヤー・バーランの変なポーズは、あれはスーパーマンが空を飛んでいるポーズで、その時彼女はスーパーマンになったかの如き全能感に包まれていたんです。人間の幸福感を映画で描かせるとインド映画は群を抜いて素晴らしい。このシーンでオレはちょっと名作インド映画『クイーン』(2014)を思い出した位でした。

しかし夢に溢れた成功体験の物語は中盤まで。中盤からはありとあらゆる問題が噴出して主人公を悩ませます。まず、仕事と家庭の両立です。忙しさのあまりスルは夫や子供の声や気持ちを汲み取ってあげられる余裕がなくなってゆきます。夫は仕事に行き詰っています。息子は学校で問題を起こしてしまいます。でもスルはなかなかそれに気付けません。こういった家庭でのちょっとした行き違いの様子は、ヴィディヤー・バーラン主演作『Shaadi Ke Side Effects』(2014)を彷彿させます。そして親戚問題。スルの姉や父親が、セクシー・ヴォイスを披露する彼女のRJになんやかやと難癖をつけ、仕事を辞めさせようとします。

こうした、スル一人の努力や気持ちだけではどうしようもない問題が次々と起こってゆきます。女性の社会進出や自己実現は素晴らしい事ですが、それを受け入れてあげられる社会やコミニュティの意識の在り方、意識の変革がなければ、やはりそれは果たせない事なんです。物語はそのあたりもきちんと描いていて、単なる一人の女性のサクセスストーリーで終わることをしていません。

こうして主演のヴィディヤー・バーランは夢と現実、仕事と家庭の狭間で七転八倒する主人公の姿を時にユーモラスに、時に溢れんばかりの情緒で、徹底的に演じ切ります。ちょっとした表情や態度、声の出し方などの非常に細かやな演技から、観ている者は主人公スルの心の移り変わる様を手に取るように理解できますが、それも彼女の圧倒的な演技スキルがあったればこそでしょう。こういった演技の素晴らしさを堪能できるという意味でも優れた作品でした。あと、意外と歌と踊りが多かったのもみっけものでしたね。

シッダールト・マルホートラ、ソーナークシー・シンハー主演のクライム・サスペンス『Ittefaq』

■Ittefaq (監督:アバイ・チョープラー 2017年インド映画)f:id:globalhead:20180303183714j:plain

二つの殺人、二人の容疑者、二つの証言。映画『Ittefaq』錯綜する二つの殺人事件捜査を追うサスペンス・スリラー映画です。主演はこのあいだ『A Gentleman』をこのブログで紹介したばかりのシッダールト・マルホートラ、最近では『Akira』(2017)『Force 2』(2017)の出演があるソーナークシー・シンハー。さらに共演として『Mom』(2017)のアクシャイ・カンナー。監督は長編初のアバイ・チョープラー。

《物語》雨の中を猛スピードで走る車がクラッシュする。車から這い出た男の名はヴィクラム(シッダールト・マルホートラ)、英国の作家だ。彼はホテルで死体となって発見された妻の殺人者と疑われ逃走してきたのだ。ヴィクラムはあるアパートに逃げ込むが、暫くしてそのアパートから一人の女が飛び出しパトカーを制止する。女の名はマヤ(ソーナークシー・シンハー)、彼女の部屋に突入した警官たちが見たものは、マヤの夫の死体の前で呆然とするヴィクラムの姿だった。

物語は二つの殺人事件の前で錯綜します。ヴィクラムは妻を殺したのか、殺していないのか。マヤの夫を殺したのはヴィクラムなのかマヤなのか。ヴィクラムとマヤ、それぞれの証言は食い違い、そしてそれを証明するものが殆どありません。面白いのはこの二人、どちらも怪しいという事。ヴィクラムが妻を殺しても殺していなくとも、その同じ夜にまた別の殺人を犯してあまつさえ警官に簡単に逮捕されてしまうのは確かに妙。それではヴィクラムはその夜たまたまマヤが夫を殺した現場に入り込んでしまったのか。それも妙だが、マヤが夫を殺した現場に赤の他人のヴィクラムをむざむざ招き入れてしまうというのも妙。一見無関係な二つの殺人事件が重なり合うことにより、事件究明がさらに困難になってしまっているんです。

この事件の捜査を担当する刑事の名はディヴ(アクシャイ・カンナー)。インドのクライム・サスペンスにしては珍しく(?)、決して激することなく常に沈着冷静に淡々と容疑者二人の尋問を行い、食い違う証言と当時の状況を推理しながら事件の真相に迫っていきます。そして少しづつ状況証拠や証言を得られるのですが、ここがまた面白いのは、それらがどれも容疑者二人に別々に不利になるものであり、真相究明は常に一進一退を繰り返すのです。このクールなディヴに対し、周囲の警官たちは有象無象の愚鈍な連中ばかりで、彼らの頓珍漢な行動が映画に乾いたユーモアをもたらしており、決してダークでハードなだけのサスペンスに貶めていない部分が作品を豊かにしています。

こうして謎と疑惑にまみれながら物語は進んでゆき、決して飽きさせることなくクライマックスへと向かってゆきます。予想を裏切る結末はきっと観る者を満足させることでしょう。シッダールト・マルホートラ、ソーナークシー・シンハー、アクシャイ・カンナーといった俳優陣の演技を眺めていられるだけでも時間の無駄にはなりません。上映時間も105分と緊張感を持続させながらいい具合にサクッと観られる時間だし、錯綜する事件捜査ではありますが頭捻んなきゃいけない難しいセリフや展開もないので、気軽に観られるスマッシュヒット作でしたよ。

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俺とお前は双子の兄弟!? / 映画『Judwaa 2』

■Judwaa 2 (監督:ダヴィド・ダワン 2017年インド映画)

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死んだと思っていた双子の兄は生きていた!?そこから始まるハチャメチャな大騒動を描いたコメディ映画『Judwaa 2』であります。主演はヴァルン・ダワン、ジャクリーン・フェルナンデス、タープスィー・パンヌー。監督はヴァルン・ダワンのお父様ダヴィド・ダワン。この親子で『Main Tera Hero』という作品もありましたな。ちなみに1作目『Judwaa』(1997)はサルマーン・カーン主演で同監督により製作されておりますが、こちらのほうは未見です。

《物語》ムンバイに住むランジーヴ・マルホトラは双子の息子を授かるが、病院にやってきた悪党に息子の一人を誘拐され、警察との捕り物の最中その幼子は死んだものとみなされてしまう。その後マルホトラ家はロンドンに移り住み、残された双子の弟であるプレーム(ヴァルン・ダワン)は大学生にまで成長していた。一方、死んだと思われていた双子の兄は実は生きており、ラージャー(ヴァルン・ダワン:二役)と名付けられたその青年はムンバイでやんちゃ三昧で生活していた。しかしラージャーは地元のギャングとイザコザを起こし、ロンドンに旅立つことになる。さて、ロンドンですれ違い続ける双子二人は、あちこちでおかしな目に遭うことになるのだが!?

はい。インド映画お得意の【一人二役ストーリー】です。インド映画では同じ顔をした二人の人物が登場してしっちゃかめっちゃかになってしまう、あるいは巧妙な犯罪を繰り広げる、という物語があまりにも多く、これだけで【ダブルロール(一人二役)・ジャンル】とでも名付けてしまいたくなるほどですが、お手軽な手法とはいえこれが結構傑作が多いんですね。今回も「またかよ!?」と思いつつ、大いに楽しませてもらいました。

今回ヴァルン・ダワンが一人二役を演じるラージャーとプレームはお約束のように一方がやんちゃな一般庶民、一方がお金持ちのお坊ちゃま、ということになっていて、それだけならよくある設定なんですね。しかし今作では二人にある特殊能力が存在することになっていて、それが物語のハチャメチャ度を高めています。それは、時々二人の行動がシンクロしてしまうことなんですね!例えばラージャが目の前のチンピラを殴りつけると、違う場所にいるプレームもなんだか分からず目の前の人を殴りつけてしまう!?ラージャが可愛い子にキスするとプレームも自動的に目の前にいるオバサマにチューしてしまう!?これでは大騒動にならない訳がありません!

双子に不思議なシンクロニシティがあることはよく言われる事ですが、この物語では行動までがシンクロナイズドしてしまうんです。いくらなんでも全ての行動がなにもかもシンクロしてしまったらまともな生活なんか送れませんが、この物語ではここぞというアクションだけがシンクロしてしまうもんだから都合よすぎ!しかし、だからこそ面白い物語になっているから全然許す!(この辺の"ある時だけシンクロ"は映画で理由付けられていたものを、自分は字幕を見落として分かってないだけなのかもしれません)

ラージャーとプレームはお互いの双子の兄弟が同じ町にいるとは知りませんから、お互いの行動が、彼らを同一人物だと思っている第三者にとって毎回ちぐはぐになってしまい、ここでまた大騒動が巻き起こります。ラージャーにはアリシュカ(ジャクリーン・フェルナンデス)という恋人が、プレームにはサマーラ(タープスィー・パンヌー)という恋人ができるのですが、その時々で態度の違う恋人に怒り心頭、交際の危機にまで発展してしまいます!今作のジャクリーン・フェルナンデスはいつものようにゴージャスで大いに目の保養になりました。一方タープスィー・パンヌーは『Baby』(2015)、『Pink』(2016)、『Naam Shabana』(2017)とオレはシリアス作品ばかり観ていたので、コメディでの演技が新鮮でした。

脇を固めるアヌパム・ケールの演技は安定の楽しさでしたが、あのジャガイモ顔のコメディ俳優、ジョニー・リーヴァルの出演はとても嬉しかったですね。さらに、とんでもないカメオ出演もあるのでお楽しみに。作品では様々なインド映画オマージュが散りばめられており、全部が分かったわけではないんですけれども、個人的には『銃弾の饗宴-ラームとリーラ-』や今話題沸騰の『バーフバリ』ネタが飛び出した時には結構盛り上がりましたよ。

 

『バーフバリ』のアヌシュカ・シェッティ主演による幽霊屋敷ホラー映画『バーガマティ』!

バーガマティ(Bhaagamathie) (監督:G・アショック 2018年インド映画)

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幽霊屋敷に閉じ込められた女性があんな怖い目やこんな怖い目に遭っちゃう!?というインド/テルグ語のホラー映画です。この映画の最も注目すべき点は今全宇宙で話題沸騰中の映画、『バーフバリ』でデーヴァセーナを演じたアヌシュカ・シェッティが主演しているという事でしょう!バーフバリ!バーフバリ!(違う)

物語の主人公となる女性の名はチャンチャラ(アヌシュカ・シェッティ)。恋人殺しの容疑で服役中の彼女はある事情により古びた屋敷に幽閉されます。かつて彼女は大臣秘書をしていましたが、捜査局がこの大臣を失脚させる情報を彼女から引き出す為、秘密裏に人里離れた場所の古屋敷に閉じ込めたのです。しかしこの屋敷は亡霊が徘徊すると噂されている屋敷でもありました。

とまあそんな訳で、朽ちかけた屋敷の中で主人公チャンチャラや警官たちが夜毎恐ろしい怪異と遭遇し続けます。どうやらこの怪異の元凶となるのは、かつてこの屋敷に暮らしていた王妃バーガマティの呪いだった……というのが今作。

なにしろ「幽霊屋敷」モノですから、蜘蛛の巣だらけで埃だらけで多分黴臭くてどこもかしこも薄暗くて、古い時代を感じさせる内装や調度がひたすら重苦しく威圧的で、かつてここに暮らしていたと思われる人間たちの不気味な肖像画があちこちに飾ってあって、なにしろ古屋敷だから扉も廊下もギーギーギーギーと神経逆なでする音を立てて、そんな場所に夜ともなると多分生暖かいと思われる風が吹き込み屋敷全体をさらに軋ませる、という、文章書いているだけでも鬱陶しくなってくる古屋敷に、さらに得体の知れない黒い影が蠢き主人公らを脅かすという訳なんですよ!

その怖がらせ方はというと「チラ見しかさせない謎の存在!」「耳障りな効果音と鳴り響きまくるコワイ音楽!」そして「突然出現して"ワッ!"と吃驚させる何か!」というまあひたすら単純というか古典的というかある意味芸の無い怖がらせ方であるのも確かで、遊園地のお化け屋敷ならまだしもホラー映画を山ほど観ているようなホラー映画通を満足させるような作品では残念ながらないのも確かなんですね。逆に残虐シーンや肉体破壊は殆ど無いし血の量も控え目なのでホラー映画が苦手な人なら安心して観られるという事もできます。

ちょっと思ったのはこの作品、ラジニカーント主演による『チャンドラムキ〜踊る!アメリカ帰りのゴーストバスター』(2005)とよく似ているなあ、ということでしょうかね。『チャンドラムキ』はヴィディヤー・バーラン、アクシャイ・クマール主演のヒンディー映画『Bhool Bhulaiyaa』(2007)でリメイクされており、実の所『チャンドラムキ』自体もマラヤラム映画のリメイク作なんですが、幽霊屋敷が舞台で、この屋敷にいわくのある女の亡霊が出て、さらにその女の亡霊が取り付いちゃう、そして精神分析医が出てきて「いやこれは精神病ですよ!」と言い放っちゃう所も一緒だったなあ。

お話自体も尋問の為にわざわざ古屋敷に幽閉するっていうのがどうも不自然に感じて、英語字幕をきちんと追えて無かったこともあって最初は「一体全体何やってるの?」と思えてしまいました。それと、『チャンドラムキ』ややはり同工の幽霊屋敷モノであるタミル語ホラー映画『Pizza』(2012)が、怪異の続く物語に合理的な理由付けをしていたように、この作品でもやはり合理的な理由付けをしていて、この辺のホラーに対するスタンスって意外とインド映画ならではかなあ、とちょっと思いましたね。欧米ホラーってスーパーナチュラルはあくまでスーパーナチュラルで描きますからね。その辺がちょっと面白かったですね。

シェフ:インドで三ツ星フードトラック始めました/映画『Chef』

■Chef (監督:ラージャー・クリシュナ・メーノーン 2017年インド映画)

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傲慢すぎて馘になった一流シェフが、心機一転移動レストランを始めちゃう!という物語です。主演を務めるのはサイフ・アリー・カーンですが、サイフのシェフ姿ってなんだか新鮮そうですね。監督は『エアリフト 〜緊急空輸〜(原題:AIRLIFT)』のラージャー・クリシュナ・メーノーン。またこの作品は『アイアンマン』などで知られるハリウッド監督、ジョン・ファヴローが2014年に監督した『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』のインド版リメイクとして製作されています。

物語の舞台はまずはニューヨーク。この街の一流レストランでシェフを務めるローシャン(サイフ・アリー・カーン)は、客とイザコザを起こし店を馘になってしまいます。がっくり肩を落としつつ、彼はいい機会だからとインドに住む元妻と息子に会いに向かいます。久しぶりに会う息子との心休まる日々。そしてそこで彼は元妻と懇意の実業家から古びた二階建てバスを見せられ、移動レストランをやってみないかと勧めらます。最初は一流シェフだったプライドが許さなかったローシャンでしたが、次第にそのアイディアに興味を持ち始めます。

オリジナルであるファヴロー版は数年前観ていましたが、物語のアウトラインは殆ど同じなのにもかかわらず、アメリカとインドという舞台の違いからとても新鮮な気持ちで観る事が出来ました。

ファヴロー版ではロサンゼルスから物語が始まり、マイアミでキューバサンドイッチの販売を思いつく……という物語でしたが、この『Chef』ではニューヨークを発端にしつつ、主人公は元妻と息子の住むインド・ケーララ州のコチに飛び、そこから主人公の生まれ故郷であるニューデリーへ移動レストランの車を走らせるんですね。その途中ゴアに立ち寄りパーティーピープルとセッションを楽しんだりもします。この、南インドの風光明媚な土地柄と、インド大都市の喧騒の間を行き来するロードムービー的な描写が非常に活きてるんですよ。

こうして遷り変る風景の中で、最初は傲慢で頑固者だった主人公は自分を見つめ直すようになり、「料理を作るってどういうことなのだろう?」と自らに問いかけます。さらにそれまで疎遠だった息子との心の交流をも深めてゆくのです。また、かつてのニューヨークの同僚が助っ人で移動レストランに参加し、真に信頼できる人間関係とは何なのか主人公は思い知らされます。こうして、主人公は自らの「本当に大切なもの」を発見し、それを取り戻してゆくのがこの物語なんですね。こういった全体的に非常に強いポジティビティがこの物語をとても魅力的なものにしています。

惜しむらくは舞台となるケーララやニューデリーのインド料理がもっとたくさん紹介されて、見た目的に「美味しい」作品なのを期待したんですが、その辺は割とあっさり目だったのがちょっと残念でしたね。まあインドの観客が自分の国の料理を改めて紹介されてもそれほど面白くも無いからだったんでしょうかね。どちらにしろ主演のサイフ・アリ・カーンは自らの役どころをしっかり把握した演技で実に好演でした。予定調和的ではありますが観て損の無い佳作だと思いますよ。