インド映画を巡る冒険(仮)

以前メインのブログに書いたインド映画記事のアーカイヴです。当時書いたまま直さず転載しておりますので、誤記等ありましてもご容赦ください。

インドのブラックな殺人コメディ映画『盲目のメロディ~インド式殺人狂騒曲~』

■盲目のメロディ~インド式殺人狂騒曲~ (監督:シュリラーム・ラガバン 2018年インド映画) 

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盲目のピアニストが関わってしまったある殺人事件。事件を知る彼に犯人たちの魔の手が迫るが……!?という映画『盲目のメロディ~インド式殺人狂騒曲~』。2018年にインドで公開され大ヒット、その驚愕のシナリオと不敵な物語展開は絶賛の嵐で迎えられた。なんでも米映画批評サイトRotton Tomatoesの満足度は100%フレッシュ!なんだそうですよオクサマ。その作品がいよいよ日本公開と聞いて元インド映画好きのオレもワクワクしながら映画館に足を運んだのだが、ワオ!こりゃ評判通りの面白い映画だわ!

物語の主人公は盲目のピアニスト、アーカーシュ(アーユシュマーン・クラーナー)。ある日彼はピアノ演奏をするためインド映画大スターのマンションを訪ねるが、そこではまさに殺人が行われていた!犯人はアーカーシュが盲目であるために目撃されていないと思い込みその場をやり過ごすが、実はアーカーシュは殺人に気付いていたのだ。何も知らないふりをして犯行現場を離れるアーカーシュだが、心は動揺で一杯だった。そして殺人犯はアーカーシュをいぶかしみ、もう一度彼に接近しようと画策するのだ。

この『盲目のメロディ~インド式殺人狂騒曲~』、ジャンルとしては「ブラックな殺人コメディ」といったところか。いわゆる犯罪サスペンスではあるが、「知り過ぎてしまった男と殺人犯との息詰まる攻防」を描いているだけではなく、そこに思いもよらぬ展開を持ち込みツイストを掛けてゆくのだ。そしてその「思いもよらぬ展開」というのが、「どうしてそっちに転がる!?」という素っ頓狂さに満ち溢れているものだから、観ていて思わず「プッ!」と笑えてしまうのである。

このコメディ要素の要因となるのは、殺人犯が冷徹極まりない絶対悪の如き存在ではなく、どこか間が抜けていたり、どうにも憎めない存在であったりする描かれ方だ。同様に、主人公もその周辺の者たちも、どこか打算的であったり欲得づくであったりと、決して一点の曇りもない善人であるとは言い切れない部分だ。すなわち主人公の側も殺人者の側も、どうにも人間臭い理由と事情を抱えた連中ばかりで、そしてこの人間臭さが想定外の行動を生み出させ、呆気にとられるようなドタバタへ繋がってゆく。そこが可笑しいのだ。

もうひとつ、この作品を面白くさせているのは中盤からの「強引な展開の挿入」だろう。これによりその後の物語の流れがさらにとんでもない方向へと転がってゆくだけではなく、益々先の読めない波乱を生んでゆくのである。これがガチリアリズムなクライムドラマであるなら「いやフツーそんなことしないでしょー」とツッコミを入れたくなるような嘘っぽさではあるが、この映画は「いやでもこうしたほうが面白くなるよ?」と確信犯的に盛り込んでゆくのだ。そしてそれは成功している。そう、リアリズムなんてクソくらえ、映画として面白ければそれでいいのだ。いやしかし本当に巧いシナリオだ。

正直、あまりに練りに練られたシナリオであったため、またぞろインド映画お得意の「韓国犯罪映画の翻案」とかそういうのか?と思ったぐらいだが、調べてみるとフランスの短編映画「l’ Accordeur(調律師)」を原案にしているのらしい。YouTubeで探して観たのだが、確かに物語の発端となる部分は同じであるけれど、『盲目のメロディ』中盤からの波乱は映画オリジナルのものであった。

この作品で特に良いなあと思えたのは、物語の舞台がインドではなくても充分通用するものであるという事だ。つまり地域性に頼らない世界共通な映画の面白さを兼ね備えているという事なのだ。これは監督の作家性がインド映画プロパーから脱却しているということ、インド映画的共通認識に決して頼ろうとしていない事の表れでもある。だからインド映画的スメルを追い求める人にはピンと来ない部分があるかもしれないが、逆にインド/アジア映画的な臭みの苦手な人、面白い映画ならインドだろうがどこだろうが気にしない人にこそ受け入れられ易いのではないか。

なお予告編では今回の記事では触れないことにしていたネタバレが入っているので要注意。

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