インド映画を巡る冒険(仮)

以前メインのブログに書いたインド映画記事のアーカイヴです。当時書いたまま直さず転載しておりますので、誤記等ありましてもご容赦ください。

鏡の国のテロ戦争〜映画『Bangistan』

■Bangistan (監督:カラン・アンシュマーン 2015年インド映画)


ヒンドゥー/ムスリムという二つの宗教が対立する架空の国家、南北バンギスタンを発端として、それぞれの国が企んだ自爆テロ作戦の顛末をスラップスティックな笑いで包み込んだブラック・コメディ作品です。テロ犯を演じるのはリテーシュ・デーシュムクとプルキト・サームラート、さらに酒場の娘としてジャクリーン・フェルナンデスが共演しています。監督・脚本はこれが初作品となるカラン・アンシュマーン 。

《物語》インド亜大陸の西南に位置する小さな島バンギスタン。その島は寒冷な山岳地帯でありイスラム教を主教とする北バンギスタンと、温暖でヒンドゥー教を主教とする南バンギスタンとに国家が分かれていた。両国は融和政策を推し進めていたが、原理主義者らはそれを苦々しく思い、折しもポーランドで開かれる南北バンギスタンの平和宣言を叩き潰すために爆弾テロを計画する。北側が選び出したテロ実行犯はコールセンターに務めるプラヴィーン(プルキト・サームラート)、南側が選び出したのは俳優のハフィーズ(リテーシュ・デーシュムク)。それぞれはお互いに相手側の宗教を信仰しているように偽装し、開催地であるポーランドのクラコフに潜入する。しかし偶然にも二人は同じアパートに住むことになり、お互いの素性を知らないまま友情が芽生え始めていた…。

映画『Bangistan』はヒンドゥー/ムスリムの宗教的紛争が絶えない現実のパキスタンとインドを、架空の国南北バンギスタンという形に変え、そこにテロ計画の進行というきな臭い物語を展開した作品です。現実の国際社会でもテロの危機やその恐怖が目の当たりとなっていますが、この作品の製作国であるインドでもテロ事件が多発しており、2008年のムンバイ同時多発テロでは先のフランスにおけるテロと同程度の痛ましい被害が出ています。インドではこうしたテロを題材にした映画作品も多く作られていますが、しかしこの作品ではそうした現実から一歩引き、架空の国家同士の宗教対立としてカリカチュアライズすることで、価値観を相対化し、さらにそれをナンセンスなものとして描き出し、そこから黒い笑いに満ちたスラップスティック・ギャグを生み出しているんです。

例えば本当はヒンドゥーのハフィーズは、ムスリムに変装することで常にテロリスト呼ばわりされ面食らいます。彼は本来信ずるものではなく、見てくれだけからそういった憂き目に遭うのです。そしてそれを通し、彼はムスリムの抱える痛みに気付くんです。また本当はムスリムのプラヴィーンは、ヒンドゥーに変装するために覚えたヒンドゥー教教義を唱えてみたときに、それがどれだけ素晴らしいものであるかに気付いてしまう、といった塩梅です。そして面白いのは、この二人のそれぞれが「自分は変装をしているけれど本当は相手は自分と同じ宗教」と思い込み、お互いが密かに同情したり共感したりしている、という部分です。それと同時に、「架空の国」である遠慮の無さから、南北バンギスタンのそれぞれの原理主義的指導者の姿は単純で薄っぺらいものとして描きだされます。そしてクライマックスの自爆用爆弾を巡るドタバタのブラックな笑いといったらありませんでした。

また、そういった内容とは別に特筆したいのは、映画全篇を覆う美術の楽しさです。冒頭におけるバンギスタンの紹介は、なにやらゲーム画面のようなCGを使い、賑やかに描き出されます。そして続く南北バンギスタンの様子は、まず北バンギスタンが緑を基調とした毒々しい色彩で統一され、そして南バンギスタンは橙色を基調とした騒々しい色彩で統一されています。主人公ハフィーズとプラヴィーンが借りたアパートまでがそんな色彩に分かれているんです。ここでのセットの美術はジャン=ピエール・ジュネを思わせるポップさで、これも含め、映画全体がミュージック・ビデオを思わせるようなヴィヴィッドな楽しさに彩られているんですね。実はこの作品、インドでは大コケしたらしく、IMDbでも10点満点中4.2点と相当の低評価で、それは作品における宗教の扱い方が皮相的すぎるといったことなのだろうと思いますが、少なくともこの美術だけでも評価できるんじゃないかな、と個人的に思います。というか、この映画結構気に入ったんだけどなあ。