インド映画を巡る冒険(仮)

以前メインのブログに書いたインド映画記事のアーカイヴです。当時書いたまま直さず転載しておりますので、誤記等ありましてもご容赦ください。

全身麻痺の男が最後に願ったこと〜映画『Guzaarish』【バンサーリー監督特集その1】

■Guzaarish (監督:サンジャイ・リーラー・バンサーリー 2010年インド映画)


サンジャイ・リーラー・バンサーリー監督といえばSRK主演の2002年公開作品『Devdas』が最も有名なのだろうが、個人的には2013年公開の『Goliyon Ki Raasleela: Ram-Leela』がなにしろ思い入れ深い。『Ram-Leela』の百花繚乱の映像美に魅せられることが無かったら今のようにインド映画を観続けることは無かっただろう。そんなバンサーリー監督作品だが、実を言うと先に挙げた『Devdas』と『Ram-Leela』しか観ていない。ここはそろそろバンサーリー監督の他の作品を観てもよい頃だろうと思い、まず2010年公開の『Guzaarish』を観てみることにしたのだ。主演はリティク・ローシャンとアイシュワリヤー・ラーイ、そして作品のテーマは『尊厳死』という重いものである。

《物語》ゴアに佇む大邸宅のベッドに一人の男が横たわっていた。彼の名はイーサン・マスカレーナス(リティク・ローシャン)、元は天才的なマジシャンとして活躍していた彼だったが、10数年前、公演中の事故が原因で全身不随となり、首から上だけしか動かすことが出来なくなっていた。そんな彼を看護士のソフィア(アイシュワリヤー・ラーイ)は献身的に介護し続け、イーサンもラジオ・パーソナリティーを務めながらハンディを背負いつつも前向きに生きることを訴えていた。しかし実はイーサンの心は既に倦み疲れていた。そしてある日、友人の弁護士デヴィヤーニー(シェルナーズ・パーテル)を通し、裁判所に自らの安楽死を嘆願する。

幻想的な『Devdas』、鮮やかな色彩の踊る『Ram-Leela』と同じく、ここでもまず目を奪うのはその練りに練った美術設定だろう。決して装飾性が高いとか華美を極めているといった意味ではなく、色彩設計が実に巧みなのだ。物語の主な舞台となる主人公イーサンの屋敷とその部屋、その内装と調度、さらにそこを行き来する登場人物たちの服装、これらどれもが、黒、紺、深緑、焦げ茶など、様々な重い色彩でもって徹底的に構成されているのだ。これらの構成により、イーサンを取り巻く世界それ自体があたかも暗く冷たい深海の奥底に沈んでいるかのようにすら感じさせる。それは全身麻痺となりながら生きざるを得なかったイーサンの暗く重い心象の具象化であり、そしてまたイーサンの持つ深い悲しみまでも表した色彩なのだろう。しかしこれらは沈鬱ではあるけれども、決して息苦しい重々しさではなく、心奪われるような美しさを湛えているのだ。

そしてこの「沈鬱とした美しさ」は物語全体のトーンとしても存在している。全身麻痺、尊厳死といったテーマは重いものではあるが、この物語は決して病床の過酷さや尊厳死の是非のみをクローズアップしようとした作品ではない。もちろんこの作品は、そういった死さえも望みたくなるような絶望と苦痛の中で輝きわたる、生のきらめきとその渇望を描こうとした作品であるのは間違いない。それは十分な感動をもってこの作品を盛り上げるけれども、実はバンサーリー監督が真に主眼とするのは、自らの透徹した美意識を存分に発露させること、即ち「いかに美しく描くことが出来るか」であり、映画の物語はそれに追従する形で構成されているように思えるのだ。それは感動的ではあるが同時に紋切型にもとれる物語構成にあらわれる。物語の登場人物たちは苦悩と葛藤の中にありつつ、その葛藤が奇妙に簡単に片が付く。しかしこういった人間描写の淡白さ・物足りなさはありつつも、それはこの作品の魅力を決して損なってはいない。なぜならバンサーリー監督の描く「沈鬱とした美しさ」は既にして成功しているからだ。

もちろん配役の魅力も忘れてはならない。主演のリティク・ローシャンの色男ぶりは生と死の狭間で揺れ動く男の憂愁を美しく際立たせる。アイシュワリヤー・ラーイももとからインド美人女優の一人ではあるけれども、バンサーリー監督が作り上げる人工的な美の空間の中であたかも綿密に計算され作り上げられたアンドロイドのような硬質な美しさを輝かせている。本当に、美術といい俳優といいなにからなにまで美しい物語だ。そして全身麻痺で動けない主役に動きを与えるため、回想シーンではマジシャンである主人公の驚異的なマジックの数々が披露される。これらは特殊撮影を使った、いわば在り得ないようなマジックなのだが、そのめくるめくような幻想性は、この作品の美しさをさらに高みへと引き上げる。