インド映画を巡る冒険(仮)

以前メインのブログに書いたインド映画記事のアーカイヴです。当時書いたまま直さず転載しておりますので、誤記等ありましてもご容赦ください。

圧倒的な美術と幻想に彩られた悲恋の物語〜映画『Devdas』 【SRK特集その6】

■Devdas (監督:サンジャイ・リーラー・バンサーリー 2002年インド映画)


「デーヴダースが帰ってきたよ!デーヴダースがロンドンから帰ってきたよ!」広々とした、あまりにも豪奢なインドの邸宅に声が響く。家の人々は喜びに沸きながらその言葉を唱和し、その声は家の女主人の耳に届く。女主人は一人の娘にそれを伝えると、娘は喜びに涙を流す。そしてそこで、華麗極まりない歌と踊りが始まる――。だが外では雷鳴が鳴り響き、豪雨が降り始めるのだ。幸福に溢れている筈のこのシーンに、不吉な影を投げかけながら。映画『Devdas』はこうして始まる。

10年振りにロンドン留学から帰ってきた男、デーブダース(シャー・ルク・カーン)。彼の帰りを待ちわびていた娘は、幼い頃から結婚の約束していたパロ(アイシュワリヤー・ラーイ)。久方ぶりの再会に、二人の心は大きく燃え上がる。月影の下で、赤くゆらめくランプの元で、水面きらめく夜の小川で。二人には素晴らしい未来が待っている筈だった。身分を巡り、二人の両親が醜くいがみ始めるまでは。激高したパロの父母はパロを別の男に嫁がせ、デーブダースは失意の内に家を飛び出す。そんなデーブダースを高級娼婦チャンドラムキー(マドゥーリ・ディクシット)は優しく慰めるが、デーブダースは生きる気力を失い、次第に酒に溺れ、破滅への道を歩みだそうとしていた。

絢爛豪華なセット、美を極めた衣装、どこまでも幻想的な映像、そして虚無と破滅に満ち溢れた慄然たる物語。映画『Devdas』は2002年にインドで破格の製作費を掛けて製作され、公開後は数々の賞と観客たちの絶賛で迎え入れられた作品である。1917年発表のサラットチャンドラ・チャトパディーによる小説を原作とし、これまでも数度インドで映画化されているという。

なによりまず驚かされるのはその圧倒的な美術だ。劇中でのパロの邸宅はいたるところにステンドグラスが配され、色とりどりの光が溢れるその光景はまるで御伽噺の中のお城のようだ。それ以外の邸宅ですら、その広さ大きさはもとより、調度も装飾も王侯貴族を思わせる豪奢さだ。邸宅の庭園を抜け夜の街に入ると、そこでは白を基調とした街並みに橙色の灯がそちこちで揺らめき、あたかも幻灯機の映像の如き光と影の踊る世界が広がっているのである。そこで役を演じる登場人物は、これもまた王侯のような目も彩な色彩の衣装と金に銀に輝き渡る装飾物に身を包み、そしてこれら全てが形造る光景は既にして神話を思わせるファンタジー世界なのだ。

このような美術の中で演じられるのは一組の男女の固く深く結びついた愛の物語であると同時に、その至高であったはずの愛が酷くも引き裂かれたことによる痛苦と懊悩の物語なのである。ことインドにおいて結婚は絶対だ。どれほど愛していようと婚儀を交わしてしまった相手に思いを持ち、さらにそれを奪おうとすることなど絶対のタブーなのである。即ち、デーブダースと、結婚してしまったパロとの愛は、絶対の不可能なのである。不可能の愛、それにいかに身悶え呻吟しようと、そこに待つのは絶望だけなのだ。そう、この物語は、地獄の如き絶望に身も心も焼かれ、破滅へとひたすら転げ落ちてゆく一人の男の昏い物語なのである。

ことインド映画に関しては、ひとつの想いをたゆまず貫き続け、必ずそれを成就するために切磋琢磨するというドラマツルギーを持つものだと思っていた。そういったポジティビティー、為せば成るの精神、それがインド映画なのではないかと思っていたのだが、この『Devdas』は違っていた。この物語には、救いが全く無いのだ。最初から不可能であったものが、ただひたすら、最後まで不可能なのである。この恐るべき無情さ、残酷さ。そしてこのような無慈悲な物語を、光と色彩の踊る究極の美術で描き切った問題作、それが『Devdas』なのだ。また、その強烈な文学性も、この作品の持ち味となっているだろう。これまで自分がインド映画に持っていたイメージを覆すと同時に、これまで以上にインド映画の凄まじさを思い知らされた傑作であった。インド映画恐るべし。

予告編

踊りも凄い。

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