インド映画を巡る冒険(仮)

以前メインのブログに書いたインド映画記事のアーカイヴです。当時書いたまま直さず転載しておりますので、誤記等ありましてもご容赦ください。

イスラム教徒は、テロリストなんかじゃない。〜映画『マイネーム・イズ・ハーン』【SRK特集その2】

■マイネーム・イズ・ハーン (監督:カラン・ジョーハル 2010年インド映画)


シャー・ルク・カーンが主演した2010年公開のこの作品は、『たとえ明日が来なくても』に続きアメリカを舞台にしたインド映画だ。しかし『たとえ明日が来なくても』がアメリカを舞台にしながらインドが舞台でも十分通用しそうなメロドラマだったのに比べ、この『マイネーム・イズ・ハーン』はアメリカという国とアメリカに住むインド系移民・在外インド人との非常にシリアスで密接した問題をテーマにしている。それはテロリズムに伴うイスラム教信者迫害という問題だ。

この作品では2001年に起こったアメリ同時多発テロの余波を受け、テロ首謀者であるイスラム過激派と一般のアラブ系住民やイスラム教徒を混同し、彼らにいわれなき差別と暴力が行使された問題を扱っている。つい最近でもシャルリー・エブド襲撃テロ事件後のイスラム教徒弾圧・迫害といった形で巻き起こったことは記憶に新しい。これらはアメリカ、ヨーロッパでの話だが、さらにその後、ISILによる邦人殺害事件に及び、日本でも誤解による日本在住イスラム教徒への差別発言が行われた例がある。隣人としてのイスラム教徒とその差別というのは既に海外だけの問題ではないのだ。これらはイスラム教に対する無知や偏見によりもたらされているものだが、特に信仰それ自体が希薄な日本においては信仰者そのものへの偏見というが存在していることも考えられる。そんなことを書いているこの自分がイスラム教をきちんと把握しているかというと、ざっくりした知識程度なので案外と怪しいものかもしれない。

どちらにしろ、映画『マイネーム・イズ・ハーン』は911テロ事件をその根底としながら、実は非常に今日的であり普遍的な問題を扱った作品だということができるのだ。かといってこの作品は決してシリアス一辺倒のガチガチに政治的で陰鬱な作品ということはない。親子の情愛や人との繋がりをその基本として描き、非常に情感豊かなエンターティメント作品として仕上がっているのだ。

物語は空港で一人の男が取り調べを受けているところから始まる。彼の名はリズヴァーン・カーン(シャールク・カーン)、彼はインド系ムスリムであったが、同時にアスペルガー症候群でもあり、その挙動不審な振る舞いから尋問を受けることになってしまったのだ。そこで彼は取調官にこう言う。「僕はワシントンに行き、大統領にメッセージを伝えたいんだ。僕の名はカーン。僕はテロリストではない、ということを」。彼はなぜ大統領に会いメッセージを伝えようとしているのか。そこには、インドからアメリカに渡り幸せな結婚生活を送りながら、911テロを境に悲惨なムスリム差別に遭い、家族をバラバラにされてしまったカーンの悲しい過去が関わっていたのだ。ちなみに主演であるSRKも実際にムスリムである。

この作品は日本でも吹き替え付きのDVDソフトとして発売され、手軽に観る機会があったのだが、「911+アスペルガー症候群」という題材にどうも狙い過ぎな印象を受け、実は若干敬遠していたのだが、実際観てみるとその豊かな表現の在り方に大いに感銘を受けた作品だった。それは先に挙げたテーマの今日性ということもあるが、アスペルガー症候群という一歩間違うと嫌味になるキャラクターを、主演のシャールクが堂々と演じ、そのチャーミングさに魅了されられた、ということもある。これはそういった障害を持ちながらも、人を愛しそして人から愛され、家族を持ち夢と希望を持ちながら生きようとする男の物語であり、その男が大きな悲劇と困難に出遭い、それを乗り越えようとする物語であるのだ。そして主人公がアスペルガー症候群であるのは、それらの困難が抱える問題の本質を、無垢なる者の持つ曇りない目で描こうする試みなのだ。

なにより主人公カーンが初めてアメリカの地を踏み、そこで恋に落ち愛を成就させ、幸福な家庭を築くまでのいきさつがどこまでも美しく楽しく心躍らす。これらは回想の形で挟まれるけれども、しかしその回想が幸福に満ちているからこそ、はからずも起こってしまった悲劇はあまりにも痛ましくショッキングだ。「なぜこんなことが起きなければならなかったのか?」こうしてカーンは旅に出る。彼は大統領のもとへ赴くその道程において様々な人々と出会う。それらのエピソードの中には急進派ムスリムの存在もあり、ムスリムにもまた亀裂があることを描くのを忘れてはいない。最も胸を打つのはアフリカ系アメリカ人の村に迎え入れられるエピソードだろう。国家に省みられることのない貧しく悲惨な境遇の中にある彼らとカーンが出会うことにより、物語はムスリムだけの問題ではなく、マイノリティと有色人種がアメリカという国で生きることの困難をクローズアップするのだ。そして物語はこれら困難の中で人同士が手を繋ぐことの尊さを力強く描き出してゆく。

マイネーム・イズ・ハーン [DVD]

マイネーム・イズ・ハーン [DVD]

  • 発売日: 2010/12/23
  • メディア: DVD