インド映画を巡る冒険(仮)

以前メインのブログに書いたインド映画記事のアーカイヴです。当時書いたまま直さず転載しておりますので、誤記等ありましてもご容赦ください。

美しくもまた残酷なミステリアス・ラブ・ストーリー~映画『Lootera』

■Lootera (監督:ヴィクラマディティヤー・モートーワーニー 2013年インド映画)


インドは1947年にパキスタンと共にイギリスから分離独立したが、それにより、それまでの大地主は財産を没収され没落の憂き目を見た。映画『Lootera』はそんな、時代の大波に揺れ動く大地主の家から始まる。
物語の舞台となるのは1850年代のベンガルの農村。インドの東ベンガル州は現在バングラデシュと国境を境にする、インドの東端に位置する土地だ。この農村を治める大地主の娘として、何不自由無いお嬢様暮らしをしていたパーキーはある日、考古学者の青年ヴァルンと出会う。ヴァルンはパーキーの父が所有する土地の寺院を調査するために訪れたのだ。パーキーにとって、知的で都会の匂いのするヴァルンは刺激的な存在だった。彼女は早速ヴァルンに近づくも、調査に忙しいヴァルンはあまり興味を示してくれない。そんなある日、政府の役人がパーキーの父の元を訪れ、父の所有する美術品を没収することを通告する。ヴァルンは財産を失おうとするパーキーの父の力になろうと尽力するが、それがきっかけとなり、ヴァルンとパーキーは急速に接近する。そして二人の結婚が決まり、式が始まろうとするその日、考えられないような恐ろしい事件が起こるのだ。
ベンガル地方の長閑な農村、その風光明媚な自然の中で出会う一組の男女のささやかな恋。映画『Lootera』は美しく薫り高い文芸的な語り口調で物語を綴ってゆく。映画前半はつれないヴァルンの気を引こうとやっきになるパーキーの、いじましい恋の行方が中心となる。父親に嘘まで付いてヴァルンに近づこうとするパーキー。悪戯で我儘で、自分の欲しいものは必ず手に入れようと躍起になるパーキーは、実に田舎のお嬢様然としている。パーキーを演じるソーナークシー・シンハーは、古典的ながら微妙に野暮ったいインド美人を好演する。映画の中でパーキーとヴァルンは近づきそうで近づかない。大人の男であるヴァルンにとってパーキーはどこか幼すぎるからだ。パーキーの優しさを愛情だと勘違いし、そのパーキーに邪険に扱われると子供のように喚き散らす。この二人の温度差が、一つの恋愛ドラマとして進行する物語前半を陰影に富んだものにしている。
一方、ヴァルン役のランヴィール・シンは、ここでは知的で清潔感溢れる美青年を抑制の効いた演技で好演していた。なにしろ自分にとってランヴィール・シンは、『Goliyon Ki Raasleela Ram-Leela』の過剰にセクシー全開なオチャラケマッチョだったもんだから、この『Lootera』での180度違う役柄にはびっくりさせらたのだ。髭も剃ってるから最初はランヴィール・シンと気づかなかったほどだ。ひょっとしたら若い頃のレイフ・ファインズとそっくりかもしれない。しかし、この映画でランヴィール・シン演じるヴァルンは、どことなく謎めいた部分もある男だった。確かに妙に気になる描写は前半でもポツポツと描かれてはいたのだ。この「謎めいた男」という部分が実はこの物語のポイントになるのだが、ネタバレしたくないのでどういうことなのかは伏せておこう。なにしろこの物語、中盤で(インド映画らしく)驚愕の展開を迎えるのだ。
いやしかしこの展開には呆然とした。そして物語は後半から切なくもまた悲しい男女の愛と業との物語へと様変わりしてゆく。柔らかなベンガルの自然を描く前半から後半は冷たく厳しい冬山の別荘へと舞台を移す。それはヴァルンとパーキーの二人の関係の変化を表しているかのようだ。しかし緊張感は一気に増すものの、この後半でも文学的な薫りが全編を覆っているのだけは変わらない。実はこの物語、誰もが知るある有名な短編文学を基にしているそうなのだが、タイトルだけで内容がバレるので書かないでおこう。誰もが知る作品だけにクライマックスで陳腐化しないか心配な部分があったが、これは前半でもきちんと伏線が張ってあり、上手く物語の中に消化していたように思う。美しく静かに愛の残酷を描くこの物語は、しかしそれでも、愛は愛であり続けることを謳い上げるのだ。これは存分に打ちのめされた作品だった。